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草上仁。私が認める数少ない――片手で数えられるほど少ない――日本SF作家の一人である(最初に読んだのは忘れもしない、ハヤカワ文庫JAの『ラッキー・カード』だった。あの新鮮な感動は今でも覚えている)。そして私が思うにSFの醍醐味はやはり短編にあり、草上仁の本領も短編にある。その草上仁の書籍未収録作品を中心とした短編集『キスギショウジ氏の生活と意見』が竹書房文庫から刊行されていたと気づいて読んでみた。
面白かった。これを機に少し語りたい。
やはり草上仁の短編SFは卓越していると再認識した。この人の秀逸さは、(黄金時代のスピリットを強く感じさせるという明々白々な長所は大前提として)時代や国を超えて鑑賞しうる高度な汎用性(透明性?超越性?一般性?どうも上手い表現が思い浮かばなくて申し訳ない。以下、便宜上「汎用性」と表現する)にある。
同時代の同じニッチの作品の大半が現代的な価値を失いクラシックとしての価値も生まずに忘れ去られているのに対し、本書に収録された作品は驚くほど新鮮さを保っている。後書きで本人が収録作品の一部に陳腐化した要素があることを語っているが、これは謙虚過ぎる見解だ。
そして多くの国産SF作家が安直なジャポニズムを看板にしているか、そうでないにしても拭い難く日本的であるのに対し草上仁の作品の多くは実に無国籍的な良さがある。そのような日本作家を私は他に知らない。
この汎用性は卓越した技量とセンスの賜物であろう。もっと評価されても良いと思うのだが……。いや、本書のような日下三蔵編の短編集が出るあたり、再評価の印なのだろうか?
SFの個人短編集としては、わたしにとってオールタイム・ベストの一つ。もう何十回読んだか分からないほどだが、定期的に読みたくなって再読。
序文でラッセルは本書の主旨を次のように語っている。
SF小説の最もよいところと、その主な魅力は、プロットがすぐれているかどうかできまってくるという点である。このことが裏目に出て、プロット優先のあまり、登場人物の性格がお座なりになることもしばしばある。ここには主要登場人物の性格がプロットに優先する小説を二、三おさめた。
大体においてSF小説では思想やモラルを伝える必要はなく、当然そのことからこのようなケースはほとんどない。だが少々無鉄砲かもしれないが、わたしはあえてそのような小説をここに取り上げることにした。(p7「序文」より)
そのような二・三の小説とは『どこかで声が……』、『ディア・デビル』、『わたしは“無”』のことであろう。センチメンタルさを冷笑されるかもしれないが、私はこの三作(別のアンソロジーも含めて良いなら『証人』も)を愛している。
私の乏しい表現力では、これらの作品の素晴らしさについては千万言を費やしてもうまく表現できないことは分かり切っている。なので「人間(火星人、プロキュオン人を含む)は素晴らしい」「善なる心は素晴らしい」とだけ言わせていただこう。
ほかの収録作品だとスリラー『忘却の椅子』、寂寥感あふれる『U-ターン』も悪くない。
エリック・フランク・ラッセル。ユーモアものは超一流だし(『宇宙のウィリーズ』)、スリラー・アクションものも秀逸(『自動洗脳装置』『金星の尖兵』)。そして本書のようなSF「小説」においては右に出る者なし。初期の早川と創元で奪い合いになっていたのも当然のことと言える。近年では辛うじて『超生命ヴァイトン』が古典として扱われるのを除けば全く顧みられていないのが理解に苦しむ……