前巻に引き続き、久しぶりに再読。
やはり面白い。1巻と違い、作品のポテンシャルが気持ち良く発揮された、文句なしの良作である。その違いをもたらした要因は一口には言えないが、
・主人公デインを初めとした四人の若手搭乗員にスポットを当てたこと
・フリー・トレーダーの地位向上というテーマ性が扱われたこと(*1)
は重要なポイントであろう。
結果として、「泥臭くも魅力的な宇宙の男たち」を描くという方向性で《デュマレスト・サーガ》と並び立つ作品になっている。主人公をパイロットや航海士ではなく「積荷係」にしていることも実に渋い。
翻訳は悪くない。が、邦題は少々垢抜けない。当時の商慣習は分からなくもないが、「恐怖の」などという実態に即していないハッタリは本シリーズのカラーと適合していないように思える。《キャプテン・フューチャー》のような擬古調作品や《ジェイムスン教授》シリーズのような本当のクラシックならともかく。
イラストは――松本零士の起用自体は悪くないと思うのだが――前巻に比べると総じて品質が落ちるように思える。操縦盤だけが描かれた口絵の狙いも分からない。また、表紙絵が(何かの隠喩かもしれないが)作品の内容に即していない上に特に魅力が感じられないのが致命的に良くない。要するに作品に対する理解や敬意に欠けた、手抜きのやっつけ仕事ではあるまいか。このシリーズが2巻までしか翻訳されなかったのはそこが原因の一つではないかとすら疑ってしまう。
*1 しかし、ここに大いなる皮肉がある。彼らフリー・トレーダー自身がサラリク人(猫との類縁関係が示唆される、鉄器時代(?)にあるヒューマノイド)による「ゴープ(半水棲の非ヒューマノイドで、恐らく物質文明の度合いはより低い)狩り」に何らの躊躇もなく加担しているのである。二種族の争いのどちらに正当性があるかを検討せず、ヒューマノイドであり取引相手である側の主張を鵜呑みにして。この姿勢はフリー・トレーダーを蔑視し虐げる大手企業や官公庁と全く同じである。ノートンは意図して皮肉としてこの反復を描いたのか? それとも偶然なのだろうか?