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前時代の人間は、宇宙時代になれば人類は変わると想像していた。考え方も、生き方も。しかしそれは間違いだったと俺たちは知っている。俺たちは何も変わっていない。卑近な問題に頭を悩ますし、長い宇宙飛行では退屈し切って、だらだらと探偵小説なんかを読んで暇を潰すわけだ。当時は、印象には残ったが賛同はできなかった。21世紀には――自分が大人になるころには――自然科学と工学技術は不可能の文字を辞書から抹消し、社会の全てが最適化されて貧困も不平等も戦争もなく、個々人の知性と人間性も磨き抜かれ、つまるところ半神たちのユートピアが実現されるのだと何の根拠もなく信じていた。
最近自分の中でアースシー熱が高まり、とうとう読むものがなくなったので、長年避け続けてきたこの2冊に手を出すことにした。
懸念していたほど可読性が低くはなかったので普通に読みとおすことはできたが、やはり特に面白くはなかった。
何と言うか、小説の形で何かを主張したいなら、主張は匂わす程度に留めるのが得策ではないかと強く感じた。その方が読者も必死で主張を読み解こうとするので逆説的に伝達率は高まるし(北風と太陽効果)、批評家も勝手にありがたがって深読みしてくれる。第一そうしないと小説として面白くなり得ない。そんなことは百も承知しているはずのプロがそれを実現できていないのは、主張を直接的に語りたい欲求に屈したこと、信者ならそういう形でも読んでくれるだろうという慢心に陥ったことの現れに他ならない。どうして名を成した作家はこうして晩節を自ら汚してしまうのか。
この人が女性であるために損をしたり侮辱されたり傷付いたりしてきたのであろうことは察せたし、差別は――個人の心に沁みついているものも、社会のシステムとしてあるものも――良くない。しかしこの人のメンタリティだと結局どんな風に生まれても勝手に差別されたと感じて勝手に傷付いてしまうのではないかと、勝手に思った。