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プロジェクト・サイラス・スミスBLOG

ホームページ「プロジェクト・サイラス・スミス」http://projcyrussmith.moto-nari.com/ のブログ部分です。メインのコンテンツ(翻訳したSF)自体はホームページ側にあります。ブログ側にはSFのレビューなどを投稿しています。 ※SF翻訳活動は、実用度の高い機械翻訳の台頭により意義を失ったと考えるため、2021年以降はほぼ休止しています(2021/4/14投稿を参照)。 ※ブログ内のエントリ間のハイパーリンクはまれに切れている場合がありえます。お手数ですが検索機能をご活用ください。

ロフティング『ドリトル先生、パリでロンドンっ子に出会う』感想

【書誌情報】
新訳 ドリトル先生の最後の冒険
訳:河合祥一郎
出版:角川つばさ文庫 2015年
イラスト:patty
ISBN:978-4-04-631533-5


【感想】
ドリトル先生シリーズに長らく未訳だった作品が一編あり、それが今では『ドリトル先生の楽しい家』の新訳版に併録されていることを知ったので、読んでみた。

作品としては文句なしの出来ばえ。発表されたのは1925年ということで、シリーズ内では中期ごろに当たり、まさに脂の乗っていた時期だ。でありながら、動物よりもむしろドリトル先生という個人がテーマになっている例外性も興味深い。言わばドリトル先生シリーズ本編というメインディッシュに対するデザートとして大変楽しめた。


【新訳版への批判】
しかしこの訳書は「よろしくない」。

まずイラストがよろしくない。ドリトル先生シリーズと言えば著者本人による原書のイラスト一択だろ常識的に考えて…… 万一変えるにしてももう少しまともなイラストレーターにまともな絵を描かせるべきである。画力、センス、総じてダメだが、特にバンポ像がダメだ。浅黒いだけでイギリス人と全く同じ顔立ちなのはどういうつもりなのか。ポリコレか? …いや、この絵師様の手に掛かればモンゴロイドもコーカソイドもネグロイドも同じになるのだろうな。

訳文もよろしくない。ドリトル先生シリーズと言えば井伏鱒二だろ常識的に考えて…… 万一変えるならあの偉大なる名訳を上回らなけらば新訳の意味がない。ところがどっこい、本書の訳文は原書への理解、表現のセンス、総じてダメだ。

例えば地の文におけるスタビンズの一人称が「ぼく」なのには絶句した。本シリーズが「成人した(ひょっとするとそれを通り越して、引退した)トミー・スタビンズの回想」であるという基本中の基本を理解していない。

初歩的な語学的ミスも目立つ。例えば『ドリトル先生、パリでロンドンっ子に出会う』内だと冒頭部
One day John Dolittle was walking alone in the Tuileries Gardens. He had been asked to come to France by some French naturalists who wished to consult him on certain new features to be added to the zoo in the Jardin des Plantes.
ある日、ジョン・ドリトル先生は、パリのチュイルリー公園を歩いていました。あるフランス人博物学者に呼ばれてパリへ来たのです。その人は、パリ植物園の中にある動物園に新たな特徴をくわえようとして、それについて先生と相談したいというのでした。(p.312)
と訳されている。"feature"を「特徴」と訳しているのは悪訳というより、もうほとんど誤訳に近い。何と言うか、辞書を引いて最初に載っていた語を選んだという浅い魂胆が見え見え過ぎる。敢えて辞書に載っている訳語の候補から妥当なものを選ぶなら2・3番目にある「呼び物」「目玉」あたりだろう。プロの仕事としては論外(金返せ)。中学生か高校生の英語の試験なら、甘く見ても半額に減点されるレベル。

調べてみると、この河合なる人物は驚いたことに「東京大学」の「教授」で「英文学者」らしい。まさか東大の大先生のレベルがこの程度だとは日本人として信じたくない。なので好意的に推測すると、

(A1)児童書と思って舐めている
(A2)文芸翻訳は学者にとっては余技だと思って舐めている
(B)学生に下請けでやらせてチェックもしていない
(C)機械翻訳を出してみるというジョーク

なのではないだろうか。(推測Bだと今度は東大生のレベルがこの程度だという別の問題が生じるわけだが……)

ちなみに気鋭のアマチュア翻訳者である私なら僭越ながらこう訳す。
ある日、ドリトル先生はテュイルリー庭園を一人で散歩していました。先生は、パリ植物園内の動物園に新たな呼び物を加えようとしているフランスの博物学者たちに招かれて、しばらく前から相談役としてフランスに滞在していたのです。
あるいは、もう一歩踏み込んで、「呼び物」でなく「動物」と説明的に書くという考えもあるだろうか。

というわけで、心あるお父さん・お母さん・小学校教師は子供にドリトル先生シリーズを読ませるなら新訳版は避け、従来版を選ぶべきである。
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