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尊崇するSF作家、トム・ゴドウィンの未訳短編で、興味深いものがProject Gutenbergに上げられているのに気づいたので訳してみました。
ちなみに訳者は猫派です。(2019/11/27追記)
One day John Dolittle was walking alone in the Tuileries Gardens. He had been asked to come to France by some French naturalists who wished to consult him on certain new features to be added to the zoo in the Jardin des Plantes.が
ある日、ジョン・ドリトル先生は、パリのチュイルリー公園を歩いていました。あるフランス人博物学者に呼ばれてパリへ来たのです。その人は、パリ植物園の中にある動物園に新たな特徴をくわえようとして、それについて先生と相談したいというのでした。(p.312)と訳されている。"feature"を「特徴」と訳しているのは悪訳というより、もうほとんど誤訳に近い。何と言うか、辞書を引いて最初に載っていた語を選んだという浅い魂胆が見え見え過ぎる。敢えて辞書に載っている訳語の候補から妥当なものを選ぶなら2・3番目にある「呼び物」「目玉」あたりだろう。プロの仕事としては論外(金返せ)。中学生か高校生の英語の試験なら、甘く見ても半額に減点されるレベル。
ある日、ドリトル先生はテュイルリー庭園を一人で散歩していました。先生は、パリ植物園内の動物園に新たな呼び物を加えようとしているフランスの博物学者たちに招かれて、しばらく前から相談役としてフランスに滞在していたのです。あるいは、もう一歩踏み込んで、「呼び物」でなく「動物」と説明的に書くという考えもあるだろうか。
【書誌情報】
原書:THE LONG WALK by Slavomir Rawicz (1956)
題名:脱出記
副題:シベリアからインドまで歩いた男たち
著者:スラヴォミール・ラウィッツ
訳者:海津正彦
出版:ソニー・マガジンズ(2005年)
ISBN::4-7897-2630-4
【感想】
本書については、「雪男目撃の一次資料」としてその筋の本においてよく言及されているので、存在は認知していた。今回は冒険ノンフィクションが読みたくて情報を漁っていたら、邦訳されていることに気づき、一石二鳥で読んでみたものである。
で、面白かった。寝る前に少しだけ読もうと思って深々夜に本を開いたところ、止めどころを逃して結局徹夜して読み通してしまった。良い読書体験だった。
着の身着のまま、徒歩でユーラシア大陸を縦断するとはまさに奇跡的偉業だ。ホモ・サピエンスという生物はこれほどの潜在能力を秘めているものなのか。自分と同種の生物とは思えない。そして、それを成さしめたソ連という巨悪の圧力がいかに大きかったのかを再認識した。そして、著者が「終わりに」でいわく――
何より大事なことは、自由は酸素と同じように大切だと、心底から感じることであり、自由はいったん失われたらそれを取り戻すのが困難だという事実を、本書を読んで思い出していただけたらこれに勝る喜びである。(p.378)
――なのである。これ。ほんとこれ。本書の主題はこれなのである。これは、誰もが内心では分かっている当然のことなのだろうが、多くの凡百の人間は恐怖政治であったり(現代日本であれば)ブラック企業であったりについ屈してしまう。これはいけない。私も彼らのような理性と勇気を忘れないようにしたい(陳腐な感想で本当に申し訳ない)。
あと、主題とはあまり関係がないが、1940年代のモンゴルやチベットの人々の「旅人」に対する扱い――無私の相互扶助システムとでも言おうか――を興味深く思った。
残念なのは、著者が著述家としてはバリバリのアマチュアである点だ。力の入れどころが若干ずれていると言うか、平均すると書きぶりがあっさりし過ぎな傾向を感じる。サバイバルの手法をもっと具体的に書いて欲しいし、プロなら軽く一章は費やして厚く書き込むであろうエピソードが2・3行で片付けられていると感じる箇所がしばしばある。実に惜しい。恐らく、著者の類まれな体験にしろ考えにしろ、せいぜい半分くらいしか本書には出力されていないのではないだろうか。アマチュアらしい荒削りな良さとはトレードオフになってしまうが、単なる口述筆記ではなくプロが手を入れればそこは十全になったのではなかろうか、そうすれば「良書」を通り越して「名著」にまで至ったのではないかと妄想してしまう。
なお心の汚れた私としては、読み終わって1日ほど経って冷静になると、本書の随所にノンフィクションとしては若干「できすぎ」な感を覚えてしまうのだが心が汚れ過ぎだろうか。