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短編集『「オー!」にご注意を』(1970)に収録された残りの9編の短編も読み終えたので感想を。(中編『太陽はいかにして消えたか』については、またそのうち。)
総じて、どれも独特のウィットの効いた寓話であり(スラヴ版ロバート・シェクリイとでも言うべき味わい)、なおかつSF的・哲学的に深遠な問いを投げかけている。これは卓越した短編集であり、作者が卓越した人物であったことが窺える。そして、西側のSFとの平行進化ぶり(もしくは影響ぶり)についても興味深い。
挿絵も独特の味わいがあり、小説部分と高いシナジー効果を発揮している。ヴァディム・アブラモヴィチ・シドゥール(Вадим Абрамович Сидур)という彫刻家が副業で描いたイラストのようだ。
なお、本書を読むのに際しては語学面でGoogle翻訳・DeepL翻訳を駆使したのみならず、知識面・解釈面で逐一AIアシスタント「Claude」に頼り切ってみた。「このセリフにはどういう裏があるのか?」、「この固有名詞にはどういう含意があるのか?」、「この事象は何を暗喩しているのか?」、「この結末はどう解釈すれば良いのか?」、あるいは「この物語はどう解釈すれば良いのか?」に至るまで、実に有用な助言が瞬時に得られて怖いくらいだ(実際、ハルシネーション発生や誤情報受け売りには不断の注意を要するであろう)。言わば
のサポートを受けながら読書しているようなもので、本来なら王侯貴族にしかできなかった贅沢の極みの読書スタイルであろう。文明の進歩に感謝してもし切れないと共に、SF者冥利に尽きる。
以下、各作品について。
人生の大半を読書家として過ごして来て、なおかつ読んだ本についてしばしば何かしらの文章(特に近年ではブログ)を書いているにも関わらず、私は「批評」あるいは「評論」については「そういうものがある」程度の知識しかなかった。そしていつまでも無手勝流の「感想」(*1)ではまずいという危機感が年々高まっていた。そんなある日、本書を認知して絶好の指南書と思って読むに至ったものである(なお、購入後3年ほど積ん読していた模様)。
結論としては、期待していたのと方向性は違うが良書ではあった。
どういうことかと言うと、題名や帯の謳い文句(*2)を見れば十中八九の人は本書を「具体的な手法(ハウツー)」が主体の本と期待するであろう。しかし本書には「感想文」を脱して「文学批評」を行うための具体的な方法論は一切書かれていない(*3)。
では何が書かれているのかと言うと、文学批評の歴史、すなわちどういう背景があってどういう流派が出現し、そして別の流派にいかにして取って代わられて行ったかという進化史あるいは興亡史である。換言すれば文学批評の主要な流派の、登場した時系列順の解説である。その解説は文も構成も極めて簡明かつドライブ力があり、非常によく分かった。この筋に関しては曖昧模糊とした概念しか抱いていなかった私の知識はこの一冊で百倍に増強、あるいは原始人から素人くらいには質的躍進を遂げたと言える。
そして、特に本書にそのような明記があったわけではないのだが、一つ自分なりの結論を得た。「文学批評のスタイルはどれも同程度に不正解であり(*4)、正解のスタイルはない(*5)」。それゆえに「自分の流儀は自分なりで良い」のだと。
ただし、既存の文学批評スタイルの全てが100%がナンセンスかと言うとそうではなく、平均して数%程度のまともさはあるのではないか――それらの良いところをうまく抽出して取り入れることは有用であろうと直感した。
また抽象的な知識に加えて、やはり「多くの流派において共通して使用される最小限の用語や論法」という具体的なスキルも最小限は身に付ける必要はあるという確信を強めた(*7)。そのうち別のところで学習しよう。
*1 当ブログのエントリが「~感想」で概ね統一されているのは、そこを踏まえて謙虚な言い回しをしているという面もなくはないが、何となく四捨五入的にそう表現しているだけというのが主たる理由である。
*2 いわく、「この作品の面白さを誰かに伝えたい! そう思ったら、本書を開いてみてください。大学は「感想文」では許されないレポートや論文を書くことが要求されます。大学の文系学部を意識している高校生にも本書をお勧めします!」。
*3 察するに題名や帯と内容の乖離はマーケティング的な戦術であろう。社会とはそのようなものであるし、自分が求めている情報の半分は載っていたし、非難はしない。
*4 ただし、マルクス主義的文学批評やフェミニズム的文学批評といったイデオロギー的批評は、結果ありきの御用批評であり「飛び抜けて不正解」なスタイルであろう。
*5 作家論にしろ作品論にしろ読者論にしろ、一見「科学的」な構造主義にしろ、どれも「そう批評することができるが、別の流派から見ればナンセンスである」ことに違いはない。それで「学問」づらをしているのだから、文系の「学者」たちは何と気楽な商売なのだろうか。時代時代でどの流派が優勢という浮き沈みはあるが、自然科学のように「究極の真理が存在して、研究者たちが切磋琢磨しながら大局的にはそれに近づいて行く」ようなものでもないと分かった(*6)。さらに悪く言えば「文学批評とは、他人の作品に対して(あるいは他人の作品を利用して)偉そうなことを言う詭弁術の一種」に過ぎないと確信を得た。
*6 もしその道の人たちが「自分たちは知を積み重ねてきた」と考えているなら、私は敢えて少年漫画『バキ』からの引用でこう言いたい。「教えてやるよ 丹念に積み上げた上達の実感だった百年余りが 取るにも足らぬ錯覚の歴史だったことを!!!」と。(21巻p35-p36)
*7 文芸批評に限らず「概念の理解」と「スキルの体得」の両者が揃って初めて本当の力を発揮する、というのが私の信念である。
2・3年遅れになるが(「そのざまが、新技術に対して広くて柔軟な心構えを持ったSF読者の姿か?」と問い詰められたら一言もない…)、LLMベースのAIアシスタントが凄すぎる。
これまではもっぱらAIアシスタントを何となく(*1)読書案内や語学といった「ソフト」で「ファジー」な議題にばかり使っていたのだが、ふと思い付いて「ハード」な話題を投げたら非の打ち所がない回答が得られた。その話題とは「『宇宙の孤児』のヴァンガード号の飛行プロファイルはどのようなものであったか? そして質量比はいかほどであったか?」で、次のように整理して投げたものである。
次のような宇宙船が次のような条件で恒星間飛行をしたとすると、飛行プロファイルはどのようなものになるか(加速度が時間のどのような関数になるか)。また質量比はいくらになるか。
・飛行距離:4.3光年
・初速:ゼロ
・到着時の速度:ゼロ(フライバイではなく、行先で停止する。)
・所要時間:60年
・エンジン:任意の物質をE=MC^2の効率でエネルギーに変えることができるものとする。そのエネルギーは二種類の活用法がある。第一に、エネルギーを100%の効率で光子として放射して推進力にすることができるものとする。第二に、そのエネルギー使用して任意の物質を何らかの(例えば加速器的な)機構により100%の効率で噴出して推進力にすることもできるものとする。物質の噴出速度は光速未満の任意の速度を取れるものとする。
・飛行プロファイルの条件:最も燃料(兼噴射剤)を節約できるよう、上記エンジン仕様に基づき、推力や比推力は常に無段階的に調整しながら飛行するものとする。
・飛行中に星間物質などを収集する術はないものとする。
・相対性理論は考慮しない(ニュートン物理学で近似する)ものとする。
・天体の重力、星間物質による抵抗は捨象する。
これに対してGemini、ChatGPT、Claudeの三者ともが(要約すると)下記のような共通する回答を数秒で出してきた。(ちょっと複雑な文系的質問の場合より、はるかに応答が早い。)
・最適な飛行プロファイルは「加速度一定(中間地点以降は減速度一定)」。その値は約0.0046G。
・中間地点での最高速度は約0.143光速。
・光子ロケット極限は最適ではなく、噴射速度≒0.090光速が最適。
・実現し得る最善の質量比は約1.2。
物理学・数学能力が退化の極みにある私が何とか検証した限りでは、誤りは見いだせなかった。(さらに相対性理論を考慮した試算を依頼してもパパっと結果を出してくれた。計算は煩雑になる割に、やはりこの程度の速度領域では結果はほとんど変わらない模様。)
ハインラインの思考に迫る上で実に示唆に富む回答であると同時に、人工知能がこれほどの非の打ちどころのない回答を出した――つまり
・自然言語で表現された問題の物理的本質を正しく捉え、
・物理学の諸法則に基づいて微分方程式の形に正しく落とし込み、
・それを正しく解く、あるいは解析的に解けなさそうだと見切りを付けて数値的に解いた
――こと自体がこの上なく素晴らしい。(なお、解説のエレガントさではChatGPTが頭一つ抜けているようだった。)
まさかこの日が生きている内に来るとは思わなかった。SF者冥利に尽きると言える。
そして、数学と物理学を少しは再学習しようと心に決めた。
*1 実を言うと根拠はある。半年ほど前、AIアシスタントを使い始めた初期のころにお試しで「ツィオルコフスキーの公式を知っていますか?」と(奇しくもロケット工学の話題の初歩を)聞いてみたら全く話にならなかったことがあったのである。ただし、今にして思うとこれはむしろ彼らの無知というより、英語ベース(?)で動いているAIアシスタントとの間の語学的ディスコミュニケーションだった可能性が高い。実際、今回「完璧に」問題を解いてくれた際も、この公式をGeminiは「ツィオルコフスキーのロケット方程式」、ChatGPTは「ロケット方程式」、Claudeに至っては名前を言及していない。
読み終えた。
ちょっと複雑な感想となる。どこから書いて行くべきか迷うが、迷っていても仕方がないので筆の走るがままに進める。
【1.本作の立ち位置】
まず、本作は想像していたもの――Geminiが述べていたもの――とは位置付けが少々違った(読書の楽しみを削がないようにGeminiが忖度して曖昧な言い方をした可能性?)。すなわち、本作を「ピープの面影のある宇宙人も登場」する、『宇宙の勝利者』とは「同じテーマから生まれた精神的姉妹作品」と呼ぶのは正確ではない。
例えば第4章で「Jusileminoprati-pup出身のAtakitであるPanjarmeeeklo-tutmrp」こと「Peep」が登場する。このプロフィールは『勝利者』のピープと一言一句まで同じなのである。これは「ピープの面影を持つ」ではなくピープ本人と理解すべきである。(謎の間投詞、「スケヴァンプ!」も共通。)
では本作はピープという同一人物で『勝利者』と直接的につながる、同じ世界の物語――前日談もしくは後日談――なのか。
そう解釈もできる(前日談か後日談かと言えば文明度の発達具合からして後者であろう)が、私はそうではないと解釈する。その根拠は本作と『勝利者』の間にあるさらなるあからさまな共通点である。例えばピープがサメ(サメではない大型の肉食魚?)に「愛情を注ぐ」が「裏切られる」一幕やピープが一時は死んだと見なされるが実は生きていたプロットである。
プロが正編と続編でそこまで芸のない繰り返しをするわけがない(セルフオマージュをするような状況でもない)。
よって、『Arcturus Landing』/『Alien from Arcturus』(※)と『宇宙の勝利者』は、リメイクの関係にあると表現するのが最も正確であると私は考える。
※『Alien from Arcturus』(1956)はエースのダブルの片方として出版され、その増補改訂版が『Arcturus Landing』(1978)であるらしい。二者の違いは分からないので、本稿では同一のものとして扱う。
【2.感想】
以上を踏まえて感想だが、光る点はなくもないが総合的に見れば凡庸で、『宇宙の勝利者』より格段に落ちる、期待外れの作品だった。
良くない点は主に三つ。
第一に登場人物に魅力や生命感が無い。主人公ジョニー・ペアレント(ジム・ローリンズに相当)、ディルク・テン・ドロッケ(カート・ハリントンに相当)、マージー(エレン・ブービエに相当)、いずれも『勝利者』に比べると人物造形が全くもって薄い。どのような過去が現在の彼らを形作っているのか? 現在の彼らは何を行動原理にしているのか? なぜ彼らは(目的のために一時的に手を組んだのはいいとして)協同し続けるのか? マージーがジョニーに惹かれる理由は何か? それらが全く伝わって来ず、全く感情移入できなかった。また、カートは歴史学・軍事学の知見で、エレンは社会学・人類学・生物学の知見で主人公ジム(ハード・サイエンス至上主義者)と同等以上にチームに貢献するが、ディルクとマージーには全く見せ場がなく、存在意義が薄い。唯一の魅力的な登場人物はピープであるが、彼にしてもなぜ三人の地球人の仲間になったのかが理解し難い(ネオ・テイラー主義者の巣窟から脱出した時点で貸し借りは清算されたし、それ以上行動を共にする理由が分からない)。
第二に、話のスケールが壮大である――現状維持を目論む悪の超巨大企業の妨害と戦いながら超光速ドライブを開発して人類の銀河文明入りを実現する――割にストーリーも登場人物もみみっちく単調でアンバランスである。特にストーリーの中盤、金星の「アンダーグラウンド」の組織の元でドライブの開発を進める部分が単調で退屈な上に説得力がない。世界最大の有力企業の下で何不自由なく(官僚主義と暗殺未遂で妨害はされていたが)何年間も研究していて成果が上がらず、「巨大なジグソーパズルを組み立ては進みつつあるが、残りが1ピースなのか千ピースなのか判然としない」状況だったのに、どうして急造の研究所で最小限の機材で一人で研究して数日から数週間で成果が出るのか? マンネリからの脱出、ハングリーな状況という効果も考えられなくはないが、それが説得力を持って伝わって来ず、物語全体を薄っぺらく安っぽく嘘臭くしてしまっている。
第三に、結末が良くない。ピープが銀河文明の有力者だったという「驚き」(と、有力者をただの奇人扱いしていたことに対する反省)を主軸にしているのが陳腐であり、また説得力がない。
思うに、これらの良くない点は作者も認識しており、それゆえに「人類が銀河文明から恒星間進出を禁止され、解除条件は超光速の実現」、「擬古主義者とネオ・テイラー主義者」、「理系青年が主人公、文系青年と紅一点が副主人公。ピープがコミックリリーフ兼トリックスター」という骨子の良いところだけを抽出して『宇宙の勝利者』としてリメイクしたのではないか。その試みは大成功したと言えよう。――ピープの魅力も倍増している。
【3.結論】
自分の原点と言える『宇宙の勝利者』の大人向け版――すなわち上位版、完全版――を鑑賞するという目的は果たせず残念だったが、その原点を認知することができ、そして『宇宙の勝利者』こそが至高の作品である確信が持てたことは良かった。
そして改めて、ピープこそがSF史上最高に愛すべき異星人キャラクターであることを確信した。もっとピープの出てくる作品が読みたい…
追記 「アタキット」が惑星の名前で「ジューズィレミノプラティ・パップ」がその地方かと思っていたのだが、本作を読んで「ジューズィレミノプラティ・パップ」が惑星の名前で、「アタキット」は種族名だと分かった(二作品で設定が違うという可能性もあるが)。また、その惑星が「土星ほどの大きさ」だという新たな情報も分かった(つまり、高密度だから高重力なのではなく大質量だから高重力である可能性が濃厚)。そして「Laj」こと「Lajikoromatitupiyot」という別のアタキット人(ピープと同業の学者?)の名前も言及された。これはピープに迫る重要な情報である。
追記2 今回購入したのはゴランツ社のSF Gatewayというレーベルの電子書籍なのだが(それを楽天Koboを通じて購入)、OCRのエラーに由来すると思われる誤植(や、恐らく数行単位での抜け)がしばしば見られた。まともな出版社の有料のコンテンツで許されるレベルではない。この点については最も強い言葉で非難したい。
追記3 本作の主人公ジョニー・ペアレントは、『こちら異星人対策局!』のトム・ペアレントと同姓である。偶然に一致するほどありふれた姓でもなさそうだが、ジョニー(とマージー)の子孫がトムだというような設定なのだろうか。しかし「祖先が超光速航法の発明者」というような明示的な言及も匂わせる的な言及も『対策局』にはないし、何を考えていたのだろうか。
追記4 Internet Archiveで『Alien from Arcturus』の序盤と終盤をちらっとだけGateway版『Arcturus Landing』と見比べたところ、違いが見出せなかった。…そしてGateway版『Arcturus Landing』の奥付けをみるとCopyrightの年が1978でなく1956になっている。Gateway版は題名こそ『Arcturus Landing』だが、実質は『Alien from Arcturus』なのではあるまいか?
追記5 『Space Winners』の原文を見てみたら、「地球主義者」と「宇宙主義者」の原語は「Archaist」と「Neo-Taylorite」だった! どうやら翻訳者が児童向けに(少々余計な)気を利かせて原語の跡形もない訳語を使っていたようだ。