『ドーキングの戦い:ある英国篤志隊員の回想録』
ジョージ・チェスニー作
深町悟訳
国書刊行会
2025年3月
SF史に名高い『The Battle of Dorking』が最近邦訳刊行されたことを認知したため読んでみた。
想像していたのと全く違った(H・G・ウェルズ/ジョージ・グリフィス/G・P・サービス的な狭義のサイエンティフィック・ロマンスかと勝手に想像していた)が、優れた作品であった。ガジェットらしいガジェットは第三章で英国艦隊の壊滅理由としてちらりと言及された
とてつもない破壊力を持った「何か」
くらいのものに過ぎないにも関わらず、凡百の(ガジェットを盛りたい放題に持った)SFよりはるかにイマジネーティブであり、近未来の戦争をヴィヴィッドに描けている。基本的には一人の篤志隊員(*1)の眼のみを通して語られる物語に過ぎないにも関わらず、無限の深みを感じさせるのは作者の卓越した筆力のなせる技だろうか。
テーマーー安寧に慣れ、油断し、あるいは非現実的な思想の末に国防を疎かにすることは国家滅亡を招くという警告――も実に迫真的な説得力を持って伝わってくる(*2)。細部も迫真性と説得力に富んでいる。例えば兵站の混乱、指揮の混乱、訓練の不足が軍隊にもたらす致命的な機能不全(動員人数の多さがかえって害に成り得る!)。そして第十章で「紳士階級」の「篤志隊」を足手まといと断じる正規軍士官の痛切な主張。これらは、作者がベテランのプロフェッショナルだからこそ書き得たことであろう。
とにかく、本作は執筆から百年以上を経た今日でもいまだにその価値を減じていない(いやむしろ増しているかもしれない)古典的名作である。これが長年のあいだ未訳であったことは日本の出版界の定見の無さと無能と怠慢の証明であろう。訳者(*3)と国書刊行会を絶賛したい。久しぶりに良い読書ができた。
*1 あまり効かない言葉だが、PJグーテンベルクで原文を見ると原語はどうやら「volunteer」のようだ。英国の軍制には無知なのだが、第一章および第四章の訳注によると英国の正規軍でない軍事組織には「中産階級」を集めた「篤志隊」と中産階級未満(?)を集めた「民兵隊」の二種類がある(あった)らしい。
*2 これは当時のイギリスよりも現代日本には百倍当てはまる警告であろう。
*3 その筋の研究者の人のようだ。おかげで巻末の「訳者あとがき」も実に充実している。