極めて久しぶりに再読。本シリーズを最初に読んだのはおそらく小学三年~五年生くらいの間で、ちょうどSFを(と言うかフィクションを)本格的に読み始めた直前から直後に当たる。その後復習していなかったとすると前世紀ぶりということになる!
今回は極力新しい版で読むことを意図し、「佐藤さとるファンタジー全集」版(2010年復刻版)を図書館で借りてきて読んだ。
さて、記憶していた以上の傑作である。本作は――うまく言語化できないのだが表現の不完全さを恐れず敢えて言語化するならば――本物の児童文学であると同時に本物のファンタジーであり、さらには本物のSFでもある。このような作品は極めて稀である。『鋼鉄都市』が「史上初めて本格SFと本格ミステリを両立した」のに匹敵する偉業である。
本作を象徴する美点の一つを挙げるならば、「コロボックル」という存在の実在感、説得力であろう。(三巻の解説そのままだが)日本神話とアイヌ神話を着想の出発点とした着眼点の良さ、それを元に独自のイマジネーションを膨らませた想像力、それらを形にした技術力の三位一体が素晴らしい。
そしてテーマ。(これも三巻の解説そのままだが)人類と違って「真の理性」を有し、調和の取れた生き方をしているコロボックルたちの姿は「科学は良いものだけど目的と手段を取り違えるのは間違いだよね。」というメッセージを発している。このメッセージは実に真摯で力強く、説得力に満ちている(本を読み始めたばかりの私にはあまり行間を読み取るような能力も意志もなかったため、このメッセージは小学生当時の私にほとんど伝わっていなかったが)。それは科学嫌いの無能の妄言ではなく、科学的素養が充分にある作者――主人公の電気技師せいたか氏は作者の分身であろう――が丁寧につむいだ言葉だからこそ胸を打つ。
総合的に見て、やはり1巻が最高傑作であった。しかしコロボックル個々人やその社会があまりにも描かれなさ過ぎて物足りないのは否めないため、そこを補完する意味で二巻・三巻も良い作品ではある。
四巻・五巻はあまり面白かった記憶がないので今回はパスした。まあ気が変わったらそのうち読んでみよう。別巻の『小さな人のむかしの話』は面白かった記憶があるのだが「佐藤さとるファンタジー全集」に入っていないので今回は見送った。そのうち読もう。なお近年別の作者による公式続編『だれもが知ってる小さな国』が刊行されているらしい。梗概を見るにあまり魅力を感じないが、まあそのうち気が向いたら読んでみよう。
ところで――無粋ながら純粋SF的に考えて――コロボックルとは何者なのか。小学生当時はあまりそういう疑問も抱かなかったのだが、進化論からするとコロボックルも何かの子孫であり何かの親類でなくてはならない。ホモ・サピエンスと大きさ以外はよく似ているからやはりヒト属の生物なのだろうか。それとも実は人類との類似は表面的なものに過ぎず、ヒト族程度、あるいはヒト亜科程度かヒト科程度までしか人類とは近くないのか。それにしてもそこそこ大型種ばかりのヒト科動物が既知の最小級の霊長類(ピグミーマーモセットやネズミキツネザル)よりもさらに小さくなれるのか? そこを考慮するとおチャ公によるコロボックル=宇宙人説はあながち正鵠を射ていたのかもしれない。