電子版のセールを機に、久しぶりに再読した。精読するのは10年ぶりくらい、通算10回か20回目くらいだろうか。
まず『鋼鉄都市』であるが、本作には改めて感じ入った(*1)。一分の隙もない。ロボットSFとしても、SFミステリとしても、未来SF(社会学SF)としても、そしてイライジャ・ベイリという男の物語としても完璧である。まさに古典であり、金字塔であり、オールタイム・ベストと呼ぶにふさわしい。
むしろこれまで本作の価値を半ばしか理解していなかった自分の愚鈍さに驚く。やはり子供のころに最初に抄訳版を読んだ時に全く理解できなかった(*2)第一印象が後を引いていたのだろうか。それとも年齢がベントリイからむしろイライジャ・ベイリに近づいて来たせいだろうか。
あと、甚だ今さらであるが『鋼鉄都市』という邦題はやはりアシモフの意図を表現できておらず、問題だと悟った。色々と事情はあるのだろうと推察できるが何とか今後の改善を期待したい――したくもあるがこれはこれで強く定着した邦題であるから悩ましい。
*1 再読する度に自分の中での存在感を増して来てはいたのだが、今回で一線を超えたため本稿の投稿に至った。
*2 たぶん小学4年生か5年生で、SF歴半年くらい(と言うより小説を読み始めて半年くらい)の未熟者だった。あかね書房少年少女世界SF文学全集の『鋼鉄都市』を読んだのだが、知的水準や読書スキルが低すぎて、作品の意義が分からないどころか外面的なストーリーを追うことすら極めて困難だった記憶がある。当時、少年少女世界SF文学全集でしっくり来ていたのは『生きていた火星人』、『惑星から来た少年』、『惑星ハンター』あたりだった。
続いて『はだかの太陽』。新訳版で読むのは初めてかもしれない。特に違和感なし(*3)。
こちらもやはりなかなかの秀作である。しかし、『鋼鉄都市』の株が爆上がりしたせいで本書にはどうしても見劣りを――小手先のテクニックだけで書かれた安易な商業作品だと感じてしまう。同じ理屈で『ロボットと帝国』『夜明けのロボット』もアシモフの未来史世界を全きものにするピースと言うより完璧な芸術作品に対する蛇足だと感じてしまう。
*3 と言うより、旧版が現代において陳腐化しているとは全く思えないし、新訳が現代的だとも思えない。そもそも冬川亘より小尾芙佐のほうが年上だし。最近、なぜか早川書房のSFでは“新訳版”がしばしば刊行されているが意義が全く分からない。翻訳家に余力があるなら未訳作品を潰すことにマンパワーを使って欲しいのだが…