久しぶりに再読したところ本書の真価がようやく理解できた。これまでは、何か違う気配を感じつつも本作の本質はファースト・コンタクトを下敷きにしたアクションSFだと誤解していたのである。ジャック・ウィリアムスンは十指に入るくらいは好きな作家だし本書も嫌いな作品ではないつもりだったのだが、どうしてこれほど目が節穴だったのか恥じるばかりである。
本書を百科事典的に分類するならファースト・コンタクトSFということになるだろうし、それはそれで間違ってはいないが、本作の本当のテーマは「全人類の一人一人が従来の政治的・経済的枠組みから独立して生きていけるようになるテクノロジーが空から降って来たら、人類はどうなるか? どうすべきか?」であろう。銀河文明“クラブ”とのコンタクトはテクノロジーが降って来る理由付けに過ぎない。
このテーマは40年代の中編『イコライザー』――きわめて簡易かつ安価なエネルギー発生器“イコライザー”、すなわち“全人類を平等にする機械”の発明と、それによる社会変革を描く――との共通性を強く感じさせる。また、少々焦点は違うが『宇宙軍団』や『ヒューマノイド』との共通性も感じさせる。ジャック・ウィリアムスンにとってこれは永遠のテーマだったのであろう(SFの最も主要なテーマである以上当たり前と言えば当たり前なのだが)。
さて、このテーマには実に考えさせられる。“その日”が来たら我々はどうすべきか? そうなることはもちろん望むところではあるが、自ら作り出すのではなく他者から与えられるユートピアには何か不健全さを感じる――これは良いことづくめという触れ込みの西欧文明を受容した東洋人としての実感である。いや、そもそも銀河文明のテクノロジーは本当に直ちにユートピアを実現するのか……? 悪役の一人が言うように「ゲームのルールが少し変わり、ゲームの賭け金がすごく上がるだけの話」に過ぎないのか?
ジャック・ウィリアムスン自身の考え方は基本的にはオプティミズムであるようだ。その意気やよし!
とにかくこれは一流の本格SF小説である。青背でなく白背から、しかもこれと言ったテコ入れもせずに出したのは早川書房の手抜かりであろうし、本作が業界で全く語られることがないのは評論家たちの無知と怠慢の結果と言わざるを得ない。