語らせてもらおう。
0 前史
両親ともに本を読む人間だったので、本というものに馴染みは深かった。
自分では「シートン動物記」、「ファーブル昆虫記」、「西遊記」、「三国志」、江戸川乱歩の探偵もの等、要するに定番(児童向けにリライトされたもの)を中心に読んでいたように思う。「学研ひみつシリーズ」や、たかしよいち&吉川豊の作品、井尻正二&伊東章夫の作品など、学習漫画も愛読していた。あとはフォーティアン趣味とでも言うのか、ポプラ社の「すべて実話だ世界の不思議」シリーズなども愛読していた。
しかし、読書家ではなかった。特に、小説を読むという習慣がほとんどなかった。読書は数ある不熱心な趣味の一つ――暇つぶしに過ぎなかった。
1 「SFロマン文庫」との出会い
そんなある日、十歳の時だったか、図書館で岩崎書店の「SFロマン文庫」に出会った。最初に読んだのはハインラインの『宇宙怪獣ラモックス』だっただろうか。衝撃だった。センス・オブ・ワンダーと読書の楽しみに同時に目覚めた私は憑りつかれたように読みまくった。『なぞの第九惑星』、『消えた土星探検隊』、『宇宙の勝利者』、『宇宙の漂流者』、『忘れられた惑星』、『宇宙人ビッグズの冒険』、『宇宙の密航少年』……ああ! ああ! あれほどの読書体験はもう二度と味わえないだろう。
今にして思うとこの叢書は作品選定、翻訳、イラスト、……全てが限りなく完璧に近かった。(当時の私にとって若干難しい巻はあったが)
初めのころは週一冊程度で満足していたが、巻数も半ばを過ぎたころには欲求は激化していた。そして私は、「『SFロマン文庫』を読み尽くしてしまったら自分は何を楽しみに生きればいいのか?」 子供心にそんな懸念を抱き始めた。
2 「少年少女世界SF文学全集」と「SF子ども図書館」の時代
「SFロマン文庫」が種切れになりつつあったころ、対象年齢的にいささか順序が逆になるが、図書館にあかね書房の「少年少女世界SF文学全集」と岩崎書店の「SF子ども図書館」があることに気づいた。
前者では『生きていた火星人』、『不死販売株式会社』、『さまよう都市宇宙船』、『三惑星連合軍』あたりが思い出深い。後者だと『超人の島』、『宇宙パイロット』などが印象的だった。
それでまた一・二カ月延命できた。
3 その他の児童向けSF叢書の時代
その後あかね書房「少年少女世界推理文学全集」、国土社「海外SF・ミステリー傑作選」、草土文化社「ジュニアSF選」あたりも見つけたが、これらでは一瞬しか持たなかった。国土社「創作子どもSF全集」もあったが、これはあまりに子供じみて見えて、ほとんど手を付けなかった。
やむを得ず児童向けの書架を総なめしてウェルズやヴェルヌ、あるいはSF的なファンタジー作品――「ナルニア国物語」シリーズや「ドリトル先生」シリーズなどを漁ったりもしたが、それまでの叢書系を中心とした読書体験を基準にすれば、収穫逓減の感は否めなかった。
4 ハインラインとウェルズ、ヴェルヌの時代
当時の私にとって、SF界には三人のビッグ・ネームがいた。ロバート・A・ハインライン、ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズである。
ハインラインは『宇宙怪獣ラモックス』や『さまよう都市宇宙船』の作者として、ヴェルヌは『地底探検』や『海底二万リーグ』の作者として、ウェルズは『宇宙戦争』や『月世界探検』の作者として、他の作家とは別格の存在感を放っていた。
彼らが世間的にも超メジャー作家であり、なおかつ当時の私の行きつけの図書館の書籍選定が良心的であったことは、私にとって甚だ幸運であった。三人のビッグ・ネームの本を求めて恐る恐る「大人向け」の書架に向かった私を、彼らの作品が待っていてくれたのである……! ここで目当ての本が無ければ私はSF者への道は歩まなかったかもしれない(少なくとも数年は遅れただろう)。
これが多分SF歴一年前後のころだった。
5 そしてSF者に
ビッグ・スリーの大人向けの翻訳書として私が初期に手に取ったのは、主として薄紫の創元SF文庫だった。ご存じのとおり、ある時期の創元SF文庫は、巻末にかなりのページを割いて同文庫の他の作家・作品を紹介しているのが特徴である。あの五行の作家紹介と四行の作品紹介文は実に魅力的だった。今でもまざまざと思い出す。紹介文に釣られてビッグ・スリーに限らない大人の本を読み始めるのに大した期間はかからなかった。
もう一つ、子供向けでない本を読み始めた要因として、上記した草土文化社「ジュニアSF選」の素晴らしき別巻『SFなんでも講座』がある。そのコンテンツの一つ「初心者のためのSFガイド20(海外篇)」に従って本を探すことも初期にはしばしばあったように思う。今にして思うと当時の私にとってはハイブロウ過ぎる作品が多かったが……
こうして私はSF者になった。最初の一冊からここまで来るのに要した期間は、たぶん一年半やそこらであった。