確か高校時代に一度、そして大学時代にもう一度読もうと試みて挫折した本だが、トールキン欲が高まっているのに乗じて一気呵成に通読した。
記憶(たぶん上巻は辛うじて流し読み、下巻は読んでいなかった)していたほどはひどくはなかった。『ホビットの冒険』ではごくごくあっさりとしか書かれなかった事項の一端が明かされたり、それ以前の歴史の一端が明かされたりその後の数十年の社会情勢の一端が明かされたり、また次世代の主人公フロド・バギンズと仲間たちにも好感が持てる。
しかしやはり記憶していたとおり、大きな欠陥があるのも事実だ。それはあまりにも冗漫なことだ。例えば主人公が旅立つまでがあまりにも長すぎるし、裂け谷に着くまでもテンポが悪い。せっかくの多彩な顔ぶれの仲間たちの見せ場が少ないのも不満だ。
また、あれこれの一端が明かされるものの事態に関する疑問はむしろ深まるばかりで「解決編」特有の快感に欠ける(というより、解決編を期待していたらそうではかったのが問題というべきか)。前作の小さなガジェットである指輪が壮大な歴史を有するアイテムで、これがメインテーマになってくるのも後付け臭くて白ける。そして『ホビットの冒険』に比べれば時間的にも空間的にも極めて広い範囲が描かれる割に作中世界の深みや厚みはほとんど増していない、むしろ減じているようにも思える。これはシリーズ化した空想小説に見られる典型的な失敗パターンである。
確か比較的若いころのハインラインだったと思うがこんな発言がある。「読者は一杯のコーヒーの代わりに私の本を買ってくれる。だから喫茶店のコーヒー一杯以上のリターンを読者に与えるよう心掛けている。それがプロの仕事だから。」と。至言だと思う。創作者はそういう商業的プロ意識を持たねばならない。しかしハインラインにしろ誰にしろ、巨匠として名を成してしまうとその初心を忘れてしまうものらしい。『ホビットの冒険』にはそういうプロ意識が強く感じられたが『旅の仲間』では雲散霧消している。趣味人、ディレッタント、芸術家、あるいは「何を書いても信者ならついてくるだろう」という傲慢な意識しか感じられない。
まとめると、前作同様に卓越したところはあるが総合的に見て一流の作品とは言えない。なぜならば構想に技術力が追い付いていない、もしくはそもそもプロとして創作する姿勢が欠けているからである。
追記:エルフが「新雪の上に足跡を付けずに歩く」のは、忍術の「ギダンの法」を思わせる。トールキンはギダンを知っていたのだろうか。それとも洋の東西を問わない人間の想像力が偶然の一致を生み出したのだろうか?