急にシマックが読みたくなって図書館へ行く。
存在は認知していたが読んだことのなかった作品『超越の儀式』があったので借りてきた。点数の多かった80年代の出版物については、興味の全くない作品を除いても、未だに読みこぼしがあるな。
【書誌情報】
題名:超越の儀式
著者:クリフォード・D・シマック
訳者:榎林哲
出版社:東京創元社
レーベル:創元推理文庫SFマーク
原書:Special Deliverance (1982)
【一言紹介】
今風の言い方をするならば「デス・ゲーム」もの。
【梗概】
現代(近未来?)のアメリカ。英文学の若い教授エドワード・ランシングは、不自然にできのいい学生のレポートを調査するうちに、謎のスロット・マシンによって異世界に転送されてしまう。
「宿屋」に着いた彼は五人の仲間――女技師、将軍、牧師、女詩人、ロボット――と出会う。彼らは皆、それぞれ別の並行世界からわけも分からず転送されて来たらしい。彼らが集められたのはなぜか? 脱出の手掛かりは?
(※ネタばれ回避のため、以下白文字)
宿の主人の情報をもとに、六人は「立方体」と「都市」を探りに出発する。「立方体」では自動防衛機構のためロボットが負傷し、「都市」では謎の機械により牧師と将軍が消失する。どちらでも収穫らしい収穫はない。
「第二の宿」にたどり着いた彼らは、女主人から得た情報を元に「歌う塔」と「混沌」を調査に向かう。「歌う塔」でも収穫はなく、女詩人サンドラが死亡。好人物ロボットのジャーゲンスは「混沌」に呑み込まれた。ここでも収穫はない。
主人公は、落伍者たちの集落を経て、離れ離れになった女技師メアリと何とか合流する。彼女の説では、この世界の攻略のカギは「立方体」にある。再び「立方体」に向かった二人は、予断を排した観察と思考により、「立方体」の内部に入ることに成功する。
彼らにゲーム開催者たちが告げる。これは、自滅傾向を持つホモ・サピエンスを救うためのプロジェクトであり、救う価値のある人材を選別するためのテストだったのだ、と。そして二人は合格者たちの惑星へ旅立つのだった。
(※ネタばれ回避のため、以上白文字)
【感想・批評】
駄作。
シマックらしい独特の雰囲気が出ているところもあるし、ロールプレイング・ゲームをモチーフにした世界を舞台にSF的デス・ゲームを走らせるという着想は面白いが、成功していない。舞台は雑、登場人物は魅力がなく、結末も説得力を欠く。全てが薄味で水準以下。
光るところがあるだけに残念である。中編として仕上げるか、もっと労力やサブ・アイディアをつぎ込むかすれば、かなりの良作になっただろうに。
【蛇足 デス・ゲームという術語について】
エドマンド・クーパーの『転位』とか、この手の「縁もゆかりもない数人の人々が謎の存在の超技術によって誘拐され、異空間で(異星で)致死的にもなり得る実戦的なゲームをやらされる」SFが昔から好きだった。
しかし名前がないのが不便極まると感じていた。
一方、1990年代末から2000年代の日本のサブカルチャー(大衆文化?)において、この種の作品からSF味を排した作品群が勃興した(リチャード・コネルの『最も危険なゲーム』みたいなスリラー系統の影響も感じられる)。『バトル・ロワイアル』、『LIAR GAME』、『クリムゾンの迷宮』、『極限推理コロシアム』、……
SF読者から見れば何十年遅れの陳腐な二番煎じに過ぎないが、彼らが「デス・ゲーム」という術語を発明したことだけは評価したい。