シリーズ第二巻。一巻に引き続き久しぶりに再読。
なかなか読ませる。一巻もそうだが(バローズの一部作品を踏襲してレトロ感を演出しているのだろう)、枠物語の外枠部分に力を入れていることにも好感が持てる。
さて(本シリーズが――少なくともその前半が――優れたバローズ・タイプ小説であることは大前提としつつも)、今回読んでいてこれまで認識していなかった二つの欠点に気づいた。
一つ目は本巻固有の欠点で、物語がほとんど進まないことだ。一巻と三巻のいわばつなぎの役割を果たしていると言えなくもないが、主人公がゴルに再来してタルナに寄らず直接サルダル山脈に向かってもシリーズ全体への影響は全く無いのではないか。
もう一つが本巻に限らずシリーズ全体に渡る欠点であり、登場人物に感情移入できる者が一人もいないことである。特に主人公の行動原理が全く腑に落ちないのがよろしくない。なぜこの男はあっという間にゴル的価値観に染まり、命を賭けて身を粉にして戦いに身を投じたのか? 現代人の九割九分なら「いやお父さん、冗談はやめて地球に返してくださいよ」で物語は終わるのではないか? さらに考えてみると――ひねりを加えようという意図は理解できるが――主体性のない男が活発にアクションをこなして行くという構造が矛盾なのではないか。そういう意味では技巧的には稚拙ながらも整合性のある構造に沿って書かれた本家バローズ作品の方が小説としては優れているようにも思える(脳みそまで筋肉でできているバローズ主人公が、そういう価値観の世界に降り立ったら水を得た魚のように戦い始めることは極めて強い説得力がある)。
さらにさらに考えてみると(昔4巻か5巻まで読んだ記憶の限りでは)本シリーズのテーマというか縦軸である神官王の思惑も不可解だ。彼らはたかが一人のホモ・サピエンスのために惑星間を二往復もしたのか? たかが一地域のホモ・サピエンスの政変を支援するために? 彼らの真の目的は何なのか? 彼らはキャボットの父といかなるつながりがあったのか?
……穿った見方をするならば(誤用)、作者は何かテーマがあるように匂わせるばかりで実は何も考えていないのではないか?
ところでこの第二巻は鏡明による15ページに渡る論考「ジョン・カーターからタール・キャボットまで」が巻末に付属しているのが良いところである。バローズからゴル・シリーズに至るまでのバローズ・タイプの歴史(スペース・オペラやヒロイック・ファンタジーとの関連性も含めて)が極めて明快かつ愛情を持って紹介されている。もっとバローズ・タイプ小説が読みたくなってくる。これが実質無料(?)で付属しているとはありがたい。
追記 ISFDBを見て驚いた。ジョン・ノーマンはまだ存命であり、ゴル・シリーズもいまだに書き続けられているらしい! 近刊は第38巻(37巻?)だそうだ。
長大なシリーズが嫌いな人間の偏見で申し訳ないが、ここまで無限に書き続けられたという事実が実質的に何のテーマも無いことの証明だと思えてしまう。6巻で翻訳を打ち切った創元の判断は英断に思える。後知恵だが、神官王の初登場する3巻でテーマと回答も一挙に出してシリーズを完結させておけば傑作として終われただろうに……と残念に思う。