原著:Forgotten World (1946) by Edmond Hamilton
訳出:SFマガジン 1962年11月号(訳者:坂田治)
『鉄の神経お許しを 他全短編』の巻末解説(伊藤民雄)にてゴーハム・ジョンソンの子孫が出てくる作品として紹介されており、強く興味を惹かれて読んでみた。
期待を大きく超える良作だった。「キャプテン・フューチャー」シリーズの外伝としても、1つのSF小説としても大満足である。
ゴーハム・ジョンソンやキャプテン・フューチャーの時代から二千年ほど未来。人類は多くの恒星系に進出し、地球はほとんど忘れ去られ、打ち棄てられていた。その主たる理由の一つは宇宙時代の初期に太陽系内の鉱物資源が使い尽くされてしまったことで、それもあってお節介な銀河政府は地球居住者に立ち退きを勧告していた。しかし郷土愛と誇りに満ちた地球人たちはそれを受け容れず、秘かに打開策を練っていた。そんな情勢の地球に、外星人の主人公が「地球療法」のためやってきたことから、状況が動き出す――
いわば「もう一つの『時果つるところ』」なわけだが、地球衰退の理由も立ち退きを拒否する住民たちの心情や論理もむしろ本作のほうが納得の行く形で描かれているように思える。
キャラクターも良い。特にジョニー・ランド――不具の身体に天賦の才と不屈の精神、そしてジョンソンの子孫たる誇りを詰め込んだ青年――のキャラクターが魅力的だ。
ランド一家(*1)の存在は、「キャプテン・フューチャー」シリーズでしばしば宇宙時代初期の偉人として言及されるゴーハム・ジョンソンの設定をうまく活かし、本作に強い説得力を与えている。また、逆に本作が(明確な結末が描かれなかった)「キャプテン・フューチャー」シリーズを補完している面もあり、ウィン=ウィンの効果が得られているので実に素晴らしい。
クライマックスへの持って行き方も文句なしだ。娯楽作家の本領発揮と言える。
あえて言えば「キャプテン・フューチャー」には登場する地球以外の太陽系人のことが全く言及されない点(*2)や、あの時代から二千年経っている割に人類にさしたる進歩が見られない点、主人公の魅力が薄い点(その遠因としてヒロインの魅力が薄い点)などが気にならないわけではないが、総合的に見て優れたSF小説でありとても楽しんで読めた。
どうして本作が埋もれたままなのか。これはぜひ「キャプテン・フューチャー全集」に収録して欲しかった。
*1 名字が違うのは母系子孫なので。
*2 まさかジェノサイドがあったのでは…と疑ってしまう。それとも徐々に地球人に吸収されたのか。あるいは太陽系人を全て四捨五入的に「地球人」と呼んでいるのか。メタ的に考えると「忘れていた」のか。
追記:SFMのこの号、福島正実による「SF同人誌『U』」に対する激烈な批判コラムが載っていて驚いた。要約すると「『U』誌のある号のある記事はSFMを見識がないと遠まわしに非難しているが、その主張こそ自らに見識がない証拠である」。
これはいけない。まず言い方が激烈すぎるし、仮にも商業誌の編集長がファンジンをあからさまに敵視するのが大人げない。というよりSFマガジンは早川書房の出版物であって編集長の私有物ではないのだから個人的感情丸出しなのは頂けない。主張するにしてももっとずっとマイルドに言うか、むしろそういう問題は黙殺する方が得策ではないか。そもそも宇宙塵(のことですよね?)がSFMを軽視しているという問題が客観的事実なのか疑問がある。当時の業界の実情は知らないし増してや宇宙塵の特定の号なんて読んだことがない者がこのコラムだけを読んで推察するに、福島正実の認識がただの深読み、勘違い、妄想という可能性もある。また、どうせここまで激烈に他者を非難するなら伏字じゃなく堂々と相手の名前を言ってはどうか。
これだけの怪文書を掲載して炎上が起きなかったのをむしろ不思議に思う。大らかな時代だったということだろうか? しかしこういう事象の積み重ねが後の「覆面座談会事件」に至り、致命傷に至ったのだろうと察しが付いた。諸行無常を感じる。