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プロジェクト・サイラス・スミスBLOG

ホームページ「プロジェクト・サイラス・スミス」http://projcyrussmith.moto-nari.com/ のブログ部分です。メインのコンテンツ(翻訳したSF)自体はホームページ側にあります。ブログ側にはSFのレビューなどを投稿しています。 ※SF翻訳活動は、実用度の高い機械翻訳の台頭により意義を失ったと考えるため、2021年以降はほぼ休止しています(2021/4/14投稿を参照)。 ※ブログ内のエントリ間のハイパーリンクはまれに切れている場合がありえます。お手数ですが検索機能をご活用ください。

六十年代のSFマガジンが神がかっていた件

わたしがこれまで読んできたSFマガジンは、諸事情により70年代が主体だった。60年代以前の巻については『復刻S-Fマガジン』とか、古本屋で一冊二冊とか、散発的にしか読んでいなかった。


そうであったところ、先日東京で時間があったので国会図書館に寄って黎明期から60年代のバックナンバーを系統的に貪り読んで来た。(いつの間にか、物理的な冊子を出してもらうのではなく、スキャン画像を端末で閲覧できる方式に変わっていて驚いた。世の中動いてやがるな。)


面白い。面白過ぎる。荒削りなところも散見されるが、まさかこれほどまでに面白いとは予想外だった。いくつか気づいた点を述べる。




1.スルー率の低さ・減点率の低さ
後の時代のSFマガジンだと
・興味が湧かないのでそもそも読まずにスルーしてしまう記事
・SF界の公器たるSFマガジンの品位を汚すゴミ記事
が時代を追うごとに増え、現在では誌面のほとんど全てを占めているわけだが、60年代だとそういう記事がほぼ皆無。ほとんどすべての項目が読みたくなるのだ。


2.編集部のセンスの良さ
そして、読んだ記事が実際に面白い。換言すれば(小説作品に関しては)作品選定眼が良い。(小説以外については)主題と寄稿者の選定眼が良い。つまるところ編集長の見識が高くセンスが良い。


3.ソ連SFの多さ
また興味深いのは「ソ連特集」みたいのをしばしばやっていることだ。70年代以降にもソ連・東欧作品が載った号はあるが、60年代は明らかにそれより頻度が高い。福島正実が、単純にアメリカSFを直輸入さえしておけば良いという姿勢ではなく、多様性を重視していたことが窺える(当時の文化人にありがちな安易な東側崇拝の臭いも感じられなくはないが……)。こりゃ確かに傑作選3巻ぶんくらいはすぐ貯まるな。


4.ハイブロウな作品の多さ
意外だったのは、ハイブロウな作品が初期からかなり多い。わたしとしては、『危険の報酬』みたいのは例外で、初期のSFマガジンはもっと素朴な作品が主体だとイメージしていたのだが、誤解であった。


5.荒削りさ
今日の出版物に比べると、(特に初期であればあるほど)驚くほど誤植が多い。またレイアウトも原始的で、なおかつ巻によってはコンテンツも貧しい。一言で言えば荒削りだ。だがそれがまた良い……




というわけで黎明期から60年代にかけてのSFマガジン――言い換えると福島正実時代のSFマガジンはべらぼうに熱気があり、センスが光り、SF者の心を沸き立たせる名雑誌だった。こりゃ確かにSFが日本に定着するわけだ。


「復刻SFマガジン第二期」として百数十冊全て復刻して欲しい。




追記:この日の本来の目的はトム・ゴドウィン、ゴードン・R・ディクスン、フィリップ・レイサム、レイモンド・F・ジョーンズ、アラン・E・ナースあたりの単行本未収録作品を読むことだったのだが、それらに関しては大半が期待外れだった。あと伊藤典夫の連載を読んでいたら「スペースオペラに興味はない。野田くんへの義理で先日一冊読んだ程度」などと書いてあって、若干ぎょっとした。そこまで言うか?

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