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プロジェクト・サイラス・スミスBLOG

ホームページ「プロジェクト・サイラス・スミス」http://projcyrussmith.moto-nari.com/ のブログ部分です。メインのコンテンツ(翻訳したSF)自体はホームページ側にあります。ブログ側にはSFのレビューなどを投稿しています。 ※SF翻訳活動は、実用度の高い機械翻訳の台頭により意義を失ったと考えるため、2021年以降はほぼ休止しています(2021/4/14投稿を参照)。 ※ブログ内のエントリ間のハイパーリンクはまれに切れている場合がありえます。お手数ですが検索機能をご活用ください。

S・ファウラー・ライト『時を克えて』感想

お前は何十年SF者をやっているのかと問い詰められたら返す言葉が無いが、わたしは『世界SF全集』の収録作品を全ては読んでいない。


その筆頭と言うべきがこのシドニー・ファウラー・ライトの『時を克えて』であった。下馬評からは何となく魅力を感じないし、実際図書館でチラ見しても魅力を感じないし、抱き合わせの『闘士』は文庫版を先に読んでいたのでこの巻を借りる必要もないし……というわけで、ながらく本作を読まずに通してきたのだが、先日意を決してようやく図書館で借りてきた。


で、読んでみたわけだがやはり面白くない。


まず、小説として下の下。ストーリーは平板で冗漫で退屈。登場人物像は紋切り型にすら達しておらず感情移入もクソもない。何らかの効果を狙ってそういう風に書いているのではなく、純粋に力不足でそうなってしまったのが透けて見える。作者は何か思弁なり風刺なりを伝える目的で本作を執筆したのだろうが、小説として最低限の可読性がなくては誰にも何も伝わらないことを理解すべきだ。


SFとしての意義、SF史における意義も理解しがたい。アイディアという意味では「時間旅行」も、「変わり果てた遠未来の世界」も発表時点(1920年代時点)では特に目新しさはないし、SFをSFたらしめる最も大事な要素――センス・オブ・ワンダーが著しく薄いのが致命的だ。


解説でウェルズやステープルドンが引き合いに出されており、確かに似ているが、面白みを抜いて冗長性を増したウェルズと言おうか、力強さと飛躍性を失ったステープルドンと言おうか、美点が見いだせなかった。


これが1960年代後半時点におけるオールタイム・ベスト70くらいに入る長編SF小説だとはとても思えない。同じニッチのSF(英語圏の戦前作品のうち、パルプ文化に属さないSF)で、選ぶべきは他にいくらでもあっただろうに。


そういうわけで、遺憾ながら第一部『両棲人』を何とか読み切ったところで力尽きてしまった。第二部『地下世界』の読破は今後の課題にしたい。

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