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プロジェクト・サイラス・スミスBLOG

ホームページ「プロジェクト・サイラス・スミス」http://projcyrussmith.moto-nari.com/ のブログ部分です。メインのコンテンツ(翻訳したSF)自体はホームページ側にあります。ブログ側にはSFのレビューなどを投稿しています。 ※SF翻訳活動は、実用度の高い機械翻訳の台頭により意義を失ったと考えるため、2021年以降はほぼ休止しています(2021/4/14投稿を参照)。 ※ブログ内のエントリ間のハイパーリンクはまれに切れている場合がありえます。お手数ですが検索機能をご活用ください。

ベスター『虎よ、虎よ!』感想

久しぶりに復習したくなって再読した。

やはり傑作だ。序盤から中盤の圧倒的なエネルギーは他に類を見ない。これほどの作品が書かれ、出版され、翻訳され、そして自分が認知できた幸運に感謝したい。しかし何度読んでも残念に思うのは、やはり終盤が弱い。

さて、今回あえて本稿を書こうと思ったのは、以上のような当たり前極まることを述べるためではない。巻末解説に興味深いことが書いてあることに初めて気づいたので、それについて述べるためである。ベスター自身の言説の引用らしい。次のとおり。
(前略)一九〇三年(原文ママ。一九三〇年の誤記と思われる)ごろ、私はE・E・スミスのスペース・オペラがなぜあんなにおもしろいのだろうと考えたことがある。文句なしで楽しんでいるのに、罪の意識さえおぼえたほどだ。しかし、今になるとわかる。E・E・スミスは私たちを魅了するだけの力を持っていたのだ。彼のステレオタイプな活劇のなかに、私たちにアピールする彼の何かが反映していたのだ。(後略)
--『世界SF全集 18』p470-p471より

達見だ。

SFファンなら誰もが覚える疑問――矛盾した感覚――アンビバレントな感情――を完璧に言語化するとともに、その問題を実に簡明に解決している。

そう、表面を機械的に評価すれば陳腐で幼稚でしかない作品を愛好することに、罪の意識を覚える必要はないのだ! ありがとう、アルフレッド・ベスター。さすがは超一流のSF作家。まるで現世(こと)の成り立ちを説く高僧のようだ。
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