SF(に限らないが)の賞味期限は、ある意味ではとても短い。
なぜならば、SFは最新科学事情に大きく依拠し、また、新たなアイディアが重視されるからだ。
そのため、クラシックSF(に限らず少しでも最新じゃないSF)を真の意味で楽しむためには二つのスキルが必要になる。第一が、「当時の読者になり切って読むというスキル」。第二が、「これは貴重な歴史的名作なのだと自らに言い聞かせて自らのボルテージを高める/保つスキル」である。
例えば『アーサー王宮廷のヤンキー』を読むなら、あらかじめ自らのボルテージを高めることにより、自分が19世紀末のアメリカの読書家になった気持ちになり、
・彼らが知っていたことは何でも知っている(例えば中世イングランド史についてはそこそこ精通している)
・彼らが知っていなかったことは何も知らない(タイム・スリップものを全く読んだことがない。現代西欧人が異星で/異次元で/過去で成り上がる作品も全く読んだことがない)
という状態に仮想的に自らを置いて読まなければならない。
SF初心者時代――特に、SFロマン文庫を読み切ってすらいなかった時代――のわたしには、このスキルが完全に欠如していた。なので同文庫のクラシック作品のうち『うしなわれた世界』と『アーサー王とあった男』は全く楽しめなかった記憶がある。『タイムマシン』は、タイム・マシンものを全然読んでいないという天然のマイナスなスキルのお陰でプラスのスキルなしでも楽しめたが。