一身上の都合でこれ以上蔵書を増やすわけにはいかない――と言うより減らしたい。大いに減らしたい。数年前から切実にそう思っていた。方法として自吸と電子書籍への移行が考えられるが、前者は技術的に時期尚早であろう(迅速、安価、なるべく非破壊、かつ高精度でテキストデータにならないようでは実用性が低い)。
であれば選択肢は電子書籍しかない。過去二・三年間はとりあえず消極策として、本を新規購入する際に選択の余地がある場合はなるべくKindle書籍を買っていた。
しかし既存の蔵書の買い替えという積極策にはなかなか出られなかった。理由は次の三点。
- 電子書籍サービスに対する不安。サーバー障害が起きたら? サービス終了してしまったら?
- Kindle(と言うかAmazon)に対する不信感。最も現実的な電子書籍サービスであるが、こいつらを儲けさせて良いのものか?
- 既存の蔵書に対する愛着。特に古書については一冊一冊に思い出がある。古本屋を行脚し、探していた一冊を見つけた時のあの感動、未知の一冊に出会った時の新鮮な驚き……それを無にするような真似はいかがなものか?
しかし、今日久しぶりに蔵書の整理をしていてついに決心した。せっかく読むために買った本が、ほとんど読まれていないことに改めて気づいたからだ。読まれていない理由は、
- そもそも蔵書の大半(読む頻度が低そうと判断したもの)は住居に置き切れないので実家にアーカイブしてあり、アクセス不能である。
- 手元にある本の大半も本棚に全く入り切らず、箱詰めにしてあるので、アクセス性が極めて悪い。
- 目録があるわけではなく(一時期頑張ったが挫折)、記憶術の達人でもないので、特定の本がどこにあるのか、そもそも本当に所持しているのか把握困難。物理的に漁ってみるしかないのでアクセス速度が極低。
つまり物理的に書籍が大量にあり過ぎることによりアクセスが困難と化していることが全ての悪しきことの根源である。これでは蔵書の意味がない(コレクションの意味すら薄い)。
図書室を作り、管理人を置き、目録を作らせれば解決するかもしれないが、貧乏人には不可能だ。
そもそも、繰り返しになるがSF本は読むために買っている。読めない蔵書に意味はない。それに
- 電子書籍サービスに対する不安 → 人生にリスクは付きもの。
- Kindleに対する不信感 → 大人なら清濁併せ呑む度量が必要。
- 既存の蔵書に対する愛着 → 「何でも自分のものにして持って帰ろうとすると難しいものなんだよ。ぼくは見るだけにしてるんだ。そして立ち去るときにはそれを頭の中へしまっておくのさ。その方が鞄をうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからね」by スナフキン(トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』より引用)
と考えれば積極策に出られない理由にも決別できた。
本日はとりあえず手元の本のうちハインライン、ヴェルヌなどの一部をKindleで買い直した。役目を終えた物理書籍は、買い叩かれるのも面白くないので実家にアーカイブかなあ……