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一種のひねくれ根性(あるいは判官びいき)で、私は非英語圏SFには強い関心を抱いている。そのためこの作品の存在は昔から認知しており気にはなっていたのだが、諸々あって読むに至っていなかった。それがこの度の「国立国会図書館内/図書館・個人送信」サービス開始の恩恵で読むに至ったものである。
で、悪くなかった。狭義のSFとして書かれたものではないのだろうが、充分に破滅テーマSFとして読みごたえがある。そして本旨である文学としてもおそらく水準以上の出来だと思われる。
冷戦時代当時の「いつでも、高い蓋然性で、世界が破滅し得る状況下」の空気がヴィヴィッドに伝わって来る。そして、備えを怠らず強い意志と知性があれば(さらに幸運があれば)自分と家族を守って生き延びられるというハインライン的なメッセージには好感を覚える。英語圏SFとは違う独特のアトモスフィアも良し。
しかし一つだけ無粋な指摘をさせていただけるなら、愚劣さと傲慢さを感じさせる新政権からの誘いを断って独立独歩の道を行く彼らの判断には共感を覚えるものの、せいぜい十数人程度のコミュニティ(しかも大半が親族)では先が無さすぎるので、そこのところに説得力がもう少し欲しかった。
なお読み終わった直後に完訳版の『希望号の人々』が本書とほぼ同時に刊行されており(訳者同じ。刊行年同じ)、同じく閲覧できることに気づいた。やむを得ずそちらも流し読みした。
結果。『希望号の冒険』が悪い意味でのアブリッジ版ではなく、魂の抜けていない、良い意味でのリライト版だと分かった。そのため情報量の多さや真正性を求めるなら当然完訳の方を読むべきであるが、簡潔さや分かりやすさを重視するなら児童向け抄訳版の方を読むのも悪くないと思う。