最近の流れでかなり久しぶりに再読。
ハインライン・ジュブナイルの中では出来の悪い方だと感じていたのだが、どこが良くないのかようやく分かった。主人公に魅力がないことだ。個性なし、葛藤なし、成長なし(知識的・技能的・身体能力的な向上はあるのだろうが)。仮にわずかにあるとしてもそれがプロットと有機的に結びついておらず何の意味もない。
思想的にも疑問がある。宇宙パトロール隊/惑星間パトロール隊は多数の核ミサイル衛星により地球全体に睨みを効かせて平和を守る「超国家的で絶対的な善」として扱われているが、一面的で独善的な自己申告に思える。『栄光の星のもとに』では似たような枠組みが地球連邦(どうやら両アメリカ大陸が世界の残り三分の二を支配しているようだ)による圧制の象徴と断じられていたがその方がまだ納得が行く。彼らが「主として北米出身者から成っている」ことは作中でも述べられているし、本当に不偏不党の正義の味方なのだろうか? せいぜい特定の勢力にとっての善に過ぎないのではないか? そもそも万人にとっての善などというものがこの世に存在しうるのか? 実際そうではなかったからこそ未来史の正史ではパトロール隊の働きもむなしく革命や戦争が起きたのではなかろうか(『ガニメデの少年』でもパトロール隊が治安を維持できなくなることが予言されていた)。「監視者を誰が監視するか?」みたいな言葉もちらりとは出てくるが掘り下げが圧倒的に足りないように思える。
着想は必ずしも悪くないし細部には良いところもあるので、駄作というよりは未完成作あるいは失敗作と言うべきだろうか。もう少し慎重に時間と労力をかけて創作して欲しかった。
あと邦題がどうにもパッとしない。どうしてこういうセンスのない中途半端な題名が付けられるのか。ゴードン・R・ディクスンとダブってしまっても構わないから素直に『宇宙士官候補生』とするか、作中の言葉を使って『惑星間パトロール候補生』とでもするか、あるいは本来の題意を気にせずに鬼面人を驚かす類の邦題を創作すればまだしも良かったものを。本書に限らないがハインライン・ジュブナイルが日本で今ひとつ評価されていないのはこの辺にも原因があるのではないか。編集者・翻訳者の責任を問いたい。
本作も『ガニメデの少年』と同様、《未来史》に属するとも属さないとも言われるのは興味深いところだ。
肯定的な材料としてはやはりエズラ・ダールクィスト中尉の名前が過去の英雄として度々言及されることだろう。金星の描写や金星人の描写も正史と矛盾しない――と言おうか、これも正史の一部と見なすなら正史の中で最も詳しい。宇宙パトロール(惑星間パトロール)が唯一詳しく描かれるのも興味深い。
しかし本書も『ガニメデの少年』と同様に年代的矛盾が明らかだ。本書は
・冒頭で「現在」が2075年であること
・12章で宇宙パトロール隊が「百年以上」も「平和を守ってきた」こと=アメリカ・南極・金星の革命も起きていないこと
が述べられるが、2070年代は正史だと「もしこのまま続けば」と同時代であり、本書の状況と明らかに矛盾する。
これまた数字の誤りと見なして補正を加え、本書の舞台を21世紀前半、神権政治成立直前に置くべきだろうか。それとも神権政治が成立しなかったパラレルワールドが舞台だと考えるべきだろうか――そう考えると『ガニメデの少年』と本書はいずれも《未来史》の正史には属さないが相互に同じ世界には属するかもしれない。