イェジイ・ブロシュキェヴィチ作
吉上昭三訳
学習研究社 少年少女学研文庫 1975年
昔々中学校の図書室(*1)で予備知識なしに(*2)遭遇し、結構愛読していた作品。おそらくその3年間を過ぎてからは再読しうる機会とモチベーションが無く、永らく再読することなく過ごしてきた。今回はたまたまその機会を得られたので数十年ぶりに再読してみた。
1.作品について
冷戦期の東側のSFとしては稀に見る秀作だと思う。政治臭はほぼ限りなくゼロに近いし、ロシア・東欧特有の堅苦しさも軽微だ。そして少年小説(*3)としてもSF小説(*4)としても立派に書けている――しかも前者が横軸、後者が縦軸となり両者が必然性を持って有機的に結合していることを高く評価したい。そして、本書を愛読していた少年時代の自分の慧眼に驚く。
2.自分について
正直、序盤の2・3割を読んでいる間は全く本作に入り込めず、自分が中学生時代より知能も感性も退化しているのでないかと不安を覚えた。幸いにして中盤以降はなかなか楽しめたがやはり懸念は拭えない。冷静かつ客観的に評価するならば、現在の自分は少年時代の自分をあらゆる面で下回るとまでは言わないが、やはり総合力的には衰えたと見るのが正当であろう。何年間も毎日ぼんやりと動画サイトばかり眺めながら惰性で生きてきたツケがそろそろ回ってきたのだろうか。『アルジャーノンに花束を』の後半における主人公の心理が分かり過ぎて困る。
3.出版界について
(あまり情報収集もしていないが)近年ではこういう志のある作品がどれだけ翻訳刊行されているだろうか? ありていに言えば皆無なのではなかろうか? 少年向けの高品質な非英語圏海外SFが(左巻きの連中の策謀の副作用による所もあるかもしれないが)ホイホイと出版されていた1970年代は何と志のある時代だったのだろうか。
今の子供たちを哀れに思う。私の頃だと(新規刊行は止まっていたにしても)その頃の本がまだ残っていた。しかし今だとその後の数十年の間に見識のない図書館員が「古いから」という白痴的な理由で良書を一掃してしまっているのではないかと懸念する。(根拠は、古本市場における図書館除籍本の流通具合である。)
*1 そのはずだ。小学校にも高校にも少年少女学研文庫は無かったはずなので。ただし出会いが市立図書館だった可能性は拭い切れず、そうだとすると時期は小学生末期だった可能性も浮上してくる。
*2 今にして思うと当時はまだ現物を見て初めてその作品を知ることがしばしばあったのだ。高校以降は知恵が付いて来たり情報収集手段が発達して来たせいで、ゼロベースで虚心坦懐に作品に向き合うことがほとんど無くなった。結果論というか「昔は良かった」的思考かもしれないが、少年期の方が読書を楽しめていたのはそれも理由なのだろう……
*3 土星生まれの少年イオン(主人公)、地球生まれの少女アルカ(副主人公兼ヒロイン)、その双子の弟アレク(副主人公)たちの清新な人間性と関係性、そして成長が生き生きと描かれている。
*4 初の恒星間飛行を目前にした人類が未知の宇宙現象と戦う姿が描かれる、骨太の宇宙テーマSFである。また中盤の中だるみをロボット法三原則(という言葉は使われないが)に基づくサスペンスで引き締める構成も優れている。