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プロジェクト・サイラス・スミスBLOG

ホームページ「プロジェクト・サイラス・スミス」http://projcyrussmith.moto-nari.com/ のブログ部分です。メインのコンテンツ(翻訳したSF)自体はホームページ側にあります。ブログ側にはSFのレビューなどを投稿しています。 ※SF翻訳活動は、実用度の高い機械翻訳の台頭により意義を失ったと考えるため、2021年以降はほぼ休止しています(2021/4/14投稿を参照)。 ※ブログ内のエントリ間のハイパーリンクはまれに切れている場合がありえます。お手数ですが検索機能をご活用ください。

H・P・ラヴクラフト『ラヴクラフト全集 別巻(上・下)』感想

実に不勉強でお恥ずかしいのだが、別巻があるとは知らなかった。本巻全7巻から20年ほど間を空けて、2007年に刊行されたようだ。旧来の6巻セットから20年ほどの間を空けて、第7巻及び別巻が2000年代になってから追加で刊行されていたようだ。内容的には主に別作家名義になっている作品で、実はラヴクラフトが有償ないし無償で添削、合作、代作、あるいは改作したものを集めている。実に志のある出版物だ。

原作者・被代作者はE・バークリイ、S・H・グリーン、C・M・エディ・ジュニア、W・B・トールマン、A・デ・カストロ、Z・ビショップ、H・S・ホワイトヘッド、H・ヒールド、D・W・ライムル、R・H・バーロウ、W・ラムリイ、K・スターリングの12名。私が怪奇小説・恐怖小説に明るくないという事情もあるが、一人として一度も聞いたことのない作家ばかりで驚く(巻末解説によるとアマチュアもいれば一応プロもいるらしい)。とは言え必ずしもこれはネガティブな感情ではなく、全くの未知なるものに対する期待感も膨らんだ。

というわけで図書館で借りてきて読んでみた。類型は3つに分けられるだろうか。

A.古典的な怪奇小説・恐怖小説。
B.ラヴクラフトの亜流的な宇宙的あるいは科学的な怪奇小説・恐怖小説。
C.狭義のSF小説に分類しうるもの。

出来の良し悪しは、総合的に見れば残念ながら悪いものが多い。ただし、アマチュアだからこそ(または二流・三流作家だからこその、あるいはジャンル自体が若かった時代だからこその)素朴な味わいが感じ取れる作品もまた少なくない。ラヴクラフトどうこうからは離れて、戦前パルプ・フィクションを懐古するアンソロジーとして意外と楽しめた。

個々の作品についても少しだけ。怪奇・恐怖小説については語るほどの力が無いのでSF作品を取り上げる。

R・H・バーロウ『すべての海が』
太陽の膨張により全ての海が干上がり、滅亡していく人類を扱う遠未来もの。
趣旨は悪くないし独特の雰囲気もある。しかし欠点もある。「最後の男」を主人公と捉えるならばそこまでの何万年(何億年?)を語るプロローグが長すぎる。『最後にして最初の人類』式小説として捉えるならば「最後の男」という個人を描くパートが余計であり、どちらにせよ上手くない。
あと、良くも悪くもラヴクラフト味が感じられないのは私が不感症なのだろうか。

ケニス・スターリング『エリュクスの壁のなかで』
舞台はジャングルと湿地の惑星である金星。金星人の領分を侵した採鉱者が彼らの仕掛けた狡猾な罠、不可視の迷宮に囚われる。
戦前パルプSFとしてなかなかスタンダードな出来ばえで、アイディアに新規性が無くはないし、独特な味が無くもない。とは言えラヴクラフトが関わっているという特殊な事情が無ければ9割9分即時忘れ去られていただろう。クラシックSF愛好家としてはラヴクラフト及びその信者という「失われた世界」(ガラパゴス諸島?)に感謝である。
なお、本稿を書いていてようやくケニス・スターリングの名前を思い出した。パルプSF史においては多分それなりに知られた人物だ。例えば手持ちのバイブルを紐解いたら野田昌宏『科学小説神髄』に「ケネス・スターリング」として言及があった。

追記修正。ついでに借りてきた7巻を(おそらく初めて)読んでようやく気づいた。7巻も2000年代だったのか。また、7巻と別巻の訳者あとがきを読んで、訳者、いや編訳者(研究家?エヴァンジェリスト?)の大瀧先生の労苦を知った。頭が下がる。
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