訳:江口清・山崎剛太郎
パシフィカ 1979年
久しぶりに再読。国会図書館デジタルコレクションよ、ありがとう(*1)。
『空中の悲劇』
後年のヴェルヌの長編にしばしば挿入される蘊蓄の章を短編小説に仕上げたような作品で、その範囲内ではうまく書けている。むしろ良く小説として成立させられたものだ。
気球の歴史、特にその悲劇的事故事例というテーマは私にとっては非常に興味深く、ドキュメンタリーとして楽しく読めた。
ヴェルヌの作風の一端を示すプロトタイプとしても興味深い作品であろう。
※ただし本作は誤訳・悪訳が目に付く。例えば21ページ、ブランシャールの逸話で砂袋の重さが30ポンドであるところが30トンになっていたり、7ページの「イルミネーションガス」は「照明用ガス」か「石炭ガス」とするのが妥当であろう。
『マルティン・パス』
これは以前(学生時代)に本書を某市市立図書館で借りた際は、あまりにもつまらなくて数ページで落伍した記憶がある。今回は歯を食いしばって読み通した。
これもまたヴェルヌの作風の一端を切り取ったような作品で、
・異国を舞台にすること。
・人間ドラマ。特に「悪役の下衆野郎の娘がなぜか容貌も心も美しい娘であることが善玉たちに二律背反を引き起こすが、最終的には娘が悪役の実子でないことが判明する」プロット。
等の特徴は後年の諸作品を思わせ興味深いが、小説としてあまりにも稚拙で退屈だ。
『老時計師ザカリウス』
少年時代や学生時代は全く理解できていなかったが、優れた文学であることがようやく腑に落ちた。ヴェルヌの優れた一面がはっきりと発現している稀な作品であろう。このタイプの作品が本作、『フリット=フラック』、『オクス博士の幻想』のたった三作しか発表されていないのが実に惜しい。そして、この作風が長編においてはほとんど全く発揮されていないのが実に惜しい。
『洋上都市』
これも以前はあまりにもつまらなくて数ページで脱落したものだが、今回は血を吐くような思いで読破した。
やはり、これと言った見どころが見出せない。巻末の訳者(山崎剛太郎)後書きで
こんど、『洋上都市』を訳出して、この中篇小説がこんにちまで日本で翻訳されなかったのが不思議にさえ思えた。それほど、この小説はおもしろい。(p.272)
と述べられているが、正気とは思えない。それとも営業上やむを得ないレトリックなのか。もし前者だとすれば私としては「この中編小説がここに翻訳されたのが不思議にさえ思える。それほど、この小説は面白くない」と反論したい。とにかく日本国の貴重な翻訳出版リソースはもっと然るべき作品に使ってほしい。
*1 いや、高い税金という代償を払っているし、先進国ならこのくらいの国家プロジェクトはできていて当たり前なので礼には及ばないだろうか?