面白かった。『封神演義』の優れたコミカライズである。
原作の超自然的要素が適度に抑えられているのが最大の特長であり、8・9割方の局面で功を奏しているように感じる。何より、原作(*1)で二言目には天命だの天数だの御託が語られるのが鬱陶しくてならなかったのが払拭されたのが大きい。代償として、SF/空想小説/伝奇小説としてのテーマ性が薄れているのが惜しまれるが、まあ仕方なかろう。
原作の冗長性を適度に解消しているのも美点である。
作画も良い。後期の横山光輝らしい、一見素朴だが洗練された絵柄で、見やすいし必要十分である。終盤は少々荒れているようにも思えるが、よほどの事情があったのであろう(本作が遺作らしいので)。
追記:本題から少し外れるかもしれないが、本作は一つの大きな問題を提起している。「組織の腐敗を認知したとき、心ある、有能な人士はどうすべきか?」という問いである。
①多くの登場人物のように見て見ぬふりをすべきなのか?
②何人かの登場人物のように黙って組織を去るべきなのか?
③別の何人かのように怒りに任せて声を上げる(そして公開処刑に遭う)べきなのか?
④あるいは聞仲のように当面の(対外的な)問題の解決を優先するべきなのか?
⑤それとも黄飛虎のように外部からの改革を試みるべきなのか?
正解は人にもよるだろうが、封神演義を読んで思うのは、やはり④は最低の愚策である。先のない体制を無意味に延命させてしまう行為は、ある意味では病巣である佞臣たちの行動より有害だ。どうして聞仲のような人物がこのような愚策に走ってしまったのか(そこの所の事情をドラマティックかつ説得力を持って描いているのが藤崎竜版封神演義であり、侮れない作品と言える)。
仮に現体制を存続させたまま事態の改善を目指すなら、聞仲が優先すべきは辺境の反乱の鎮圧ではなく、②・③・⑤の予備軍と力を結集して宮廷内の佞臣を大粛清することであっただろう。
考えさせられる。
*1 実は、きちんと読んだ確信があるのは安能版のみで、光栄版は部分的に読んだかもしれない程度、木嶋清道版、偕成社版、完訳版、全訳版は明らかに読んでいない。そのため私は真の原作を知らずに語っている可能性がある。