たまたま機会がなく読んでいなかった新訳版を、たまたま機会が生じたので読んでみた――と言っては不正確か。実は、『ダブル・スター』の存在は知っていたがただの改題版だと誤解していたところ今回現物を初めて目にしてようやく新訳であることに気づき、読んでみたものである。
悪くはない。旧訳版をさほど読み込んでいるわけではない人間の感想ではあるが、旧訳版と比べて遜色や違和感はない。(かと言って、格段に優れているわけでもないので、だったらコストを掛けて新訳する必要があるのかは疑問を覚える。)
高橋良平による解説は、充実しており、良い。
装丁も悪くない。鈴木康士という人による具象画の油彩(?)画で、作品の雰囲気をとよく合っている(旧版の符号的なロケットの表紙絵も、あれはあれで初期創元らしくて嫌いではなかったが)。
改題については、まあ肯定する。『太陽系帝国の危機』という鬼面人を驚かす邦題は、出版当時の情勢には合っていたのだろうが、現在においてはあまりにレガシーだ。原題の意に沿った邦題にするのはしごくもっともだ。原題をカタカナにするだけというのは若干芸がなく、理想を言えば原題の含意を消化した日本語にして欲しかったが、まあ許容範囲である。
作品自体についても久しぶりに精読したので感想を述べたい。
本作の主眼がロレンゾ・スマイズの人間的成長にあるとようやく気づいた。最後に読んだのは学生時代だっただろうか?なんと未熟だったのだろう。
しかし新たな疑問も生じた。解説において、都筑道夫によるダミーの疑問として示されているのと同じで恐縮だが、「これがSFである必要があるのか?」
本作が優れた小説であることは疑いようがないが、舞台が未来の火星である必然性が見いだせない。火星人や未来社会や未来テクノロジー(特に宇宙航行技術)はハインライン一流の“らしさ”で活写されており大変すばらしいのだが、それとプロットが有機的に結びついているように思えない。現代あるいは過去の非西欧に何の問題もなく移植できてしまうのではないか?
同年のヒューゴー賞ノミネート作品『永遠の終わり』『クリスマス・イブ』『金星の尖兵』『長い明日』と小説として比較すれば確かに数等上であることは間違いないが、SFとして比較した場合はむしろ格下だと思える。