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かつて我々をひきつけた、五〇年代までの作品は、首尾のととのった短篇小説であり、よくできた小説ではあったが、今にしてみれば物語の結構にとらわれるあまり、つくりごとめいた部分が感じられる。これは、名作『夏への扉』まで含めての話だ。今、ハインラインはその上の境地へ到達し、自由自在に発想の翼をひろげて、主人公たちに好きなように動きまわることをみとめている。かつてのハインラインにこだわる読者には、華麗にととのった建築のような美しさがものたりないかもしれないが、その分現実味がさらに増加しているものと、ぼくはとらえる。などと述べているが、まさか本意ではあるまい。痛いところを完全に把握しながらも営業上の理由で苦しい弁護を試みているように見える。主張は完全に逆の意味に捉えるべきであろう。
一九五〇年代の終わりに、ハインラインは、起承転結にこだわるそれまでの作風を清算し、『異星の客』、『月は無慈悲な夜の女王』と傑作をはなった。そして、一九七三年の『愛に時間を』以来、作者自身の主義主張が文脈のなかに見えかくれする臭みを払拭し、また、大団円にいたって物語のなかのすべての要素があるべき場所へ収斂していくような物語としての完結性をもふっきった。そんな、『愛に時間を』、『獣の数字』につながる流れの上に本書は存在している。(p410)