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プロジェクト・サイラス・スミスBLOG

ホームページ「プロジェクト・サイラス・スミス」http://projcyrussmith.moto-nari.com/ のブログ部分です。メインのコンテンツ(翻訳したSF)自体はホームページ側にあります。ブログ側にはSFのレビューなどを投稿しています。 ※SF翻訳活動は、実用度の高い機械翻訳の台頭により意義を失ったと考えるため、2021年以降はほぼ休止しています(2021/4/14投稿を参照)。 ※ブログ内のエントリ間のハイパーリンクはまれに切れている場合がありえます。お手数ですが検索機能をご活用ください。

ハインライン『フライデイ』感想

『愛に時間を』に続き、ハインライン晩年の作品に再挑戦した。

苦痛に耐えながら初めて通読した。やはり恐ろしくつまらない。何一つ評価すべき点がない。登場人物には魅力も実在感もなく、舞台にも面白味がなく、面白いガジェットが出てくるわけでもなく、プロットも締まりがない。テーマが読み取れない。無意味で長大で韜晦な会話が読書意欲を減退させる。そして何よりハインライン特有の精気と言おうかエネルギーと言おうかアトモスフィアがほとんど全く感じられない。『愛に時間を』がハインラインの搾りカスだとすれば、本作はそれより更に悪い、ハインラインの抜け殻だと言える。

かつての秀作『深淵』の続編という特徴も、むしろその威光を全くもって無駄に浪費しているという欠点にしかなっていない。(Wikipedia英語版には「『人形つかい』との関連性も示唆されている」とあるが、どこがどう関連があるのか私には読み取れなかった。)

麒麟も老いれば駑馬に劣る。古いことわざは簡潔にして無慈悲な真実だ。矢野徹が訳者後書きで
かつて我々をひきつけた、五〇年代までの作品は、首尾のととのった短篇小説であり、よくできた小説ではあったが、今にしてみれば物語の結構にとらわれるあまり、つくりごとめいた部分が感じられる。これは、名作『夏への扉』まで含めての話だ。今、ハインラインはその上の境地へ到達し、自由自在に発想の翼をひろげて、主人公たちに好きなように動きまわることをみとめている。かつてのハインラインにこだわる読者には、華麗にととのった建築のような美しさがものたりないかもしれないが、その分現実味がさらに増加しているものと、ぼくはとらえる。

一九五〇年代の終わりに、ハインラインは、起承転結にこだわるそれまでの作風を清算し、『異星の客』、『月は無慈悲な夜の女王』と傑作をはなった。そして、一九七三年の『愛に時間を』以来、作者自身の主義主張が文脈のなかに見えかくれする臭みを払拭し、また、大団円にいたって物語のなかのすべての要素があるべき場所へ収斂していくような物語としての完結性をもふっきった。そんな、『愛に時間を』、『獣の数字』につながる流れの上に本書は存在している。(p410)
などと述べているが、まさか本意ではあるまい。痛いところを完全に把握しながらも営業上の理由で苦しい弁護を試みているように見える。主張は完全に逆の意味に捉えるべきであろう。

二流・三流に成り下がったハインラインの姿など見たくなかった。遺憾だ。
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