何十回目になるか分からないが再読。けっこう久しぶり――数年ぶり、ひょっとすると十数年ぶりである(*0)。今回はグーテンベルク21版の電子書籍を読んだ。
やはり大傑作だ。着想が、ストーリーが、登場人物像が、筆致が、小道具が、全てが完全無欠で非の打ち所がない。近代SFが誕生しておおむね百年。数多くのSFが書かれてきたが総合的に見て本書を上回る作品を私は知らない。ハインラインの傑作群の中でも一際まぶしい光を放っている。
《船》はこの先どうなるのだろう? “有能”なナービィ船長とその後継者の指揮下で資源が尽きる(*1)か機械類が寿命を迎えるか、天体にぶつかるまで半永久的に虚空を飛び続けるのだろうか? それともひょっとすると、後発のより高速な宇宙船によって「救助」される日が来るのだろうか?(*3)
そして、ヒュウ・ホイランドと仲間たちはこの先この天体で発展していくだろうか? 彼らの子孫はいつかは他の人類と再会するだろうか?(*4)
想像は尽きない。
*0 どうも近年、自分でも自分の心理がよく理解できないのだが、傑作を再読するのに尻込みしてしまうのである。若いころはそういうことはなかったのだが。
*1 作中で描かれる限りでは《船》の日常の動力は《質量転換炉》でまかなわれている。これの効率はよく分からない(*2)が《質量》として死体とかゴミとかを投入しているようだ。いっぽうバンガード号が星間ガス等の物質を宇宙空間から取り入れている描写はない。これは長期的に見るとまずいのではないだろうか。特に、死体や有機性のごみを容易に消滅させるのは生態学的に考えてまずいのではないだろうか(それこそ『月は無慈悲な夜の女王』の序盤で指摘されていたように)。
*2 「二百人以上の屍体と、ごみくずが山ほど」でバンガード号の進路を変更しうることが示唆されていることと、本数冊または数人分の衣類または成人女性一人の質量で着陸艇を惑星間飛行させうることが示唆されているに過ぎない。
追記 『メトセラの子ら』を読んでいて、ニュー・フロンティア号にラムスクープが付いていると明記されていることにようやく気付いた。であればバンガード号も恐らくそうなのであり、おそらく全自動で稼働し続けていたがゆえに登場人物たちが認識していなかったのであろう。そのため超長期間の宇宙航行で(生態学的に必要な成分はともかく)《質量》不足が起きる懸念は薄まった。
また、効率については「その転換炉(コンバーター)は、どんなものでも受け入れて、純粋な輻射(ラディエント)エネルギーに変える」「一グラムが、それぞれ900万兆エルグの推力となる」とある(いずれも第一部7章より)。この「万兆」という一般的でない言葉(原語は何だろう?)が10の20乗を示すのであれば、未来史世界における《転換炉》はE=mc^2に則り100%の効率で質量をエネルギーに変換していることになる。
*3 *4 追記2 ググってみたところどうやらこの2つの疑問は『愛に時間を』で解消されるらしい。同作は昔1・2回は読もうと試みたものの苦痛のあまり途中で放棄していたため知らなかった。今度読んでみよう。