Project Gutenbergを漁っていたら、ファーマーの作品でピンと来るものがあったので読んでみた。題名はずばり、"Rastignac the Devil" (1954)。
お察しのとおり、『恋人たち』の前日談。主人公は、『恋人たち』ではジャネット・ラスティニャクの“父”として名前だけ言及されていたジャン=ジャック・ラスティニャク。舞台は、同じく名前だけ出てきていた惑星ウーボープフェイ。怒れる若者ジャン=ジャック・ラスティニャクが、困難を排して宇宙へと旅立とうとする物語である。
いやはや、こんな作品があるとは知らなかった。『恋人たち』の後書きでも続編たる『蛾と錆』のことしか言及されていなかったので。インターネットの偉大さをつくづく思い知る。
内容的にもだいぶ予想外だった。『恋人たち』(長編版)で、ジャネットは父の旅立ちを次のように語っている。
父は畑を畑を耕したり、商店を経営したり、子どもを育てたりという平凡な生活に飽きたらなくて、友だちといっしょに、むかし地球を発った六隻の宇宙船のうちそこに辿り着いた一隻を盗んで宇宙へ飛び出したの。(ハヤカワ文庫SF 378 伊藤典夫訳 187ページより)
なので、ただただ平和で牧歌的な惑星から青年たちが出発するだけの平穏な物語かと予測していたら、そうでもなかった。どういうことかと言うと、長編版では語られなかった(もしくは抹消された)二つの背景を理解する必要がある。
一つ目の背景として、ウーボープフェイには“戦争も貧困も知らない”二種の知的生物(陸生の爬虫人サッサラーと半海棲の爬虫人アンフィブ)が多数生息しており、少数のフランス人たちは数百年かけて同化されつつある。六隻の植民船は衛星軌道上にあるが、そこに行き着く術はすでに忘れられている。
二つ目の背景としては(一つ目とも関連するが)地球人は“皮膚”と呼ばれる自己抑制装置を乳児のころから身に付けており、“平和”に条件付けされている(三本足シリーズの“頭の輪”みたいなものですな)。暴力性の元となりうる肉食・魚食は禁止され、菜食が行き渡っている。
そういう情勢で、魚食に手を染めたことをきっかけに反抗者に成長したジャン=ジャック・ラスティニャクが、折しもウーボープフェイに不時着した地球人を、宇宙脱出のカギとすべく、アンフィブの当局から奪おうとする(ここ、ちょっと『緑の星のオデッセイ』を思わせますね)……というのが大まかなストーリーである。
それで、面白いのか面白くないのか?――そう二分法で問われれば、遺憾ながら後者である。どうもこれと言った美点が見いだせない。小説として特に優れているわけではなく、SFとしてそれほど新規性があるわけでもない。『恋人たち』をより深く読むための資料的な価値はあるだろうが……
※以上、読解力不足のため、わたしが微妙なニュアンスが読み取れていないだけかもしれないので、鵜呑みにはしないでください。