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『“機械”が止まる』本文
1909年、パルプ界ではなく文学界で発表されたクラシック。SFの最も本質的なテーマである人類とテクノロジーと未来に関して、「SF」というタームが発明される前にすでにこれほどのシビアな予測――技術の極端な進歩がかえって人類を無能にし、結局は技術文明の維持が不可能になり自滅に至る――が成されていたことに感嘆の念を覚えます。
その価値は100年以上が経過した今もなお減じていない、いやむしろ(誤解を恐れず言うと)SNS全盛期で、SNS中毒なる奇怪なタームが出現したりしている今日だからこそ価値を増しているように思えます。些末な点に関する皮相な読みかもしれませんが、作中で描写される、自動装置に囲まれてたった一人で暮らしながらも何千人もの「友人」と遠隔でつながっている未来人のグロテスクな姿は、現代のSNSヘビーユーザーと薄気味悪いほど似ているように思えます。
邦訳は何種類かありますが入手性が必ずしも良くないことと、久しぶりに翻訳をやってみたい意欲が湧いてきたので翻訳を開始してみました。
なお翻訳に際してはみらい翻訳、DeepL、そしてSFマガジン版(1964年4月号、小倉多加志訳『機械が止まるとき』)を参考にさせて頂いてます。