【はじめに】
SF者なら誰もがするであろう典型的な妄想に「もし巨万のあぶく銭を得たら翻訳家を雇って、自分用に『○○』と『××』と『△△』を翻訳してもらう」というものがある。もちろん私も日々それを妄想している。
さて、最近(数年遅れで)「5000兆円欲しい」というネットミームを知った。なかなかに面白いミームであり、様々なサイトで様々な人々が様々なフェルミ推定を楽しんでいるようだ。そこで私も、妄想を一歩進めて「5000兆円あったら古今東西完全無欠SF大図書館を作れるのか」を考察してみたい。
【要求仕様】
便宜上、仕様は次の通り定めたい。
・SFとは何か、という深淵な問題は論じない。まあ何となくSFっぽいのがSFとする。
・現時点で刊行されたSFのみを対象とし、大図書館を発展させることは考慮しない。
・日本語以外で書かれた作品は、日本語に翻訳して所蔵する。
・大図書館と言いつつ、経費削減のため実際の庁舎は建築しない。作品はデータで保持する。テキストファイルで入稿してもらい、HDDを買って保持するものとする。
・大図書館と言いつつ、公開は前提としない。差し当たり私だけが閲覧するものとする。そのため翻訳権を購入はしない。そのため翻訳費用は翻訳家へのギャラのみを積算する。
また、単純化のため次のように仮定する。
・SF市場における主要な言語は英語だと想像されるので(根拠はないが9割は占めるだろう)、翻訳コストは英文和訳の相場で近似する。日本語で書かれたSFの存在は捨象する。
【計算式】
さて、以上の仕様と仮定からすると、必要経費は次の式で表現できる。
必要経費(円) = 翻訳ギャラ(円) + HDD代金(円)
翻訳ギャラ(円) = 作品数(冊) × 1作品あたりの平均ワード数(ワード/冊) × 1ワードあたりの英文和訳相場(円/ワード)
HDD代金(円) = 作品数(冊) × 1作品あたりの平均ワード数(ワード/冊) × 10000円/6TB × 10バイト/ワード
※10000円/6TB は価格コムの3.5インチ内蔵HDDの売れ筋製品から適当に見積もった。
※10バイト/ワード は適当に推測した。
そうすると、問題は3つの変数を決定することに帰着する。①「作品数(冊)」と②「1作品あたりの平均ワード数(ワード/冊)」と③「1ワードあたりの英文和訳相場(円/ワード)」である。
①作品数
難題であるが、次のように推計したい。
・SFがこれまで翻訳された率は出版されたうちの1/100と仮定する。(ソースはベテランSF読者の体感)
・翻訳されたSFの総数はハヤカワ文庫SFと創元SF文庫の和で近似する。
そうすると、作品数=(2104+413)×100=2.5×10^5冊
※国立国会図書館NDL ONLINEの簡易キーワード検索にて「ハヤカワ文庫SF」および「創元SF文庫」と検索した結果のヒット数。「ハヤカワSF文庫」が抜けてしまうんじゃないかとか、新訳版や合本版のような重複は省くべきじゃないかとか、ハヤカワと創元の両方から出てる本も省くべきじゃないのかとか、そもそもサンリオくらい積算したらどうかとか無数の問題がありそうだが、どうせフェルミ推定なので勘弁して欲しい。
②1作品あたりの平均ワード数(ワード/冊)
ショートショートもあれば大長編もあることから、平均を取って10^4.5ワード/冊と仮定したい。
③1ワードあたりの英文和訳相場(円/ワード)
全く業界に詳しくないが、ググったらトップの方に出て来るいくつかのサイトの共通した見解によると実務翻訳の相場は数十円/ワードらしい。とりあえず10^1.5円/ワードという値を採用してみたい。
【結論】
翻訳ギャラ(円)= 2.5×10^5(冊) × 10^4.5(ワード/冊) × 10^1.5(円/ワード) ≒ 10^11.5(円)
HDD代金(円)= 2.5×10^5(冊) × 10^4.5(ワード/冊) × 10^-7(円/ワード) ≒ 10^3(円)
総計(円) = 10^11.5(円)+ 10^3(円) ≒ 10^11.5(円)
なんかHDD代金が直感と反してあまりに安い……。どこか計算違いしてますかね?
そこは見過ごすとして、とりあえず1兆円あれば私の理想は実現できてお釣りがくるということになった。金額が大き過ぎて直感が全く働かない。どれだけ妥当なのだろう。でもさすがに3.5ケタの誤差は無かろうから、最悪でも5000兆円あればたぶん大丈夫だろう。つまり結論は「可能である」と言っても良いであろう。
【おまけ:納期】
このプロジェクトの実現にはどれだけの期間がかかるだろうか? 試算してみたい。
日本中の、SFが翻訳できる翻訳者を全員雇ってフルタイムで仕事をしてもらうと仮定しよう。
すると、必要期間は次のように表現できる。
必要期間(営業日) = 作品数(冊)× 1作品あたりの平均ワード数(ワード/冊)÷ {平均翻訳速度(ワード/営業人日) × 人数(人)}
未知数は①「平均翻訳速度(ワード/営業人日)」と②「人数」である。
①平均翻訳速度(ワード/営業人日)
業界の実態は全然知らないが、ググってトップの方に出てきたサイトによると、プロ翻訳家の仕事速度は2000~3000ワード/営業日という情報があった。これを採用してみたい。
②人数
これまた難題であるが、次の方法で近似したい。
・ハヤカワ文庫SFと創元SF文庫の、直近10年間の本にクレジットされている翻訳者(重複を除く)を列挙する。
・列挙は、国立国会図書館NDL ONLINEの簡易検索で「ハヤカワ文庫SF」と「創元SF文庫」とキーワード検索することで行う。
……その結果、人数は112人となった。うーむ。なんとなく直感的に正しそうな気がする。
というわけで、
必要期間(営業日) = 2.5×10^5(冊) × 10^4.5(ワード/冊) ÷ {10^3.5(ワード/営業人日) ×10^2(人)} ≒ 10^4.5(営業日)
つまり100年くらい掛かってしまう!
自分の寿命がもたないという致命的な問題をさておいても、100年の間には翻訳エンジンがさらに一皮も二皮も剥けて行きそうな気がするので、時が経つほどプロジェクトの意義が薄まってってしまう……。とすると、やはり翻訳家育成プロジェクトを同時に進めるか、自分が読みたい優先順位をある程度考えてプロジェクトを統制していく必要がある。