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プロジェクト・サイラス・スミスBLOG

ホームページ「プロジェクト・サイラス・スミス」http://projcyrussmith.moto-nari.com/ のブログ部分です。メインのコンテンツ(翻訳したSF)自体はホームページ側にあります。ブログ側にはSFのレビューなどを投稿しています。 ※SF翻訳活動は、実用度の高い機械翻訳の台頭により意義を失ったと考えるため、2021年以降はほぼ休止しています(2021/4/14投稿を参照)。 ※ブログ内のエントリ間のハイパーリンクはまれに切れている場合がありえます。お手数ですが検索機能をご活用ください。

『パタリロ!』における「バーチャル落語」の卓越性、あるいは英語版Wikipediaの民度の高さは読者家の友である件

『パタリロ!』の中期か後期の回に、ちょっとした一幕があった。以下うろ覚えで引用:


謎の声「○○代目□□亭××の『△△』」


パタリロ(笑う)


謎の声「□□代目××亭△△の『○○』」


パタリロ(爆笑する)


謎の声「××代目△△亭○○の『××』」


パタリロ(涙が出るほど大爆笑する)


タマネギA「……なあ相棒、ありゃ一体何事だい?」


タマネギB「知らんのか。あれが殿下の最近のマイブーム、『バーチャル落語』だ」


これは、ただでさえ秀逸な『パタリロ!』において特に卓越したアイディアだと思う。落語鑑賞を極めたパタリロ8世殿下にとっては、ぽっと出の落語を今さら実際に鑑賞するよりも、過去に鑑賞した一流の落語を想起するだけで(する方が)楽しいのだ!


考えてみると読書生活においても(特に、SFにおいては)こういうところはある。


なまじな作品を今さら読むよりは、ピュアだったころに素朴な作品に没入した記憶を想起する方が遥かに強い快感を覚えられる(こともある)のだ。


そしてSF読書のさらに独特である点は、過去に読んだ作品を想起するよりも、今まさに作品を読むよりも、読んだ事のない作品の紹介を受ける方が楽しい(こともある)点であろう。例えば野田昌宏のエッセイに「今日泊亜蘭やその一派が語る、未知の海外SFの紹介はどえらく面白い。下手に実物を読むよりはるかに面白い」というような経緯が書かれていた記憶がある。


昨夜はたまたまWikipedia英語版でジョン・クリストファーの作品の梗概を読み始めたら(やはりWikipedia英語版は民度が高いなあ。フィクションに関する記事には過不足のない「Plot synopsis」が原則として完備していて実にありがたい。特に、実際に原語で長編小説を読むのが困難な人間にとっては。)あまりの面白さに止まらなくなってしまい(ああ、それにつけてもFireball trilogyとSword of the Spirits trilogyはすごく面白そうだ。誰か翻訳してください。)、上記を思い出した。

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