SF少年文庫/SFロマン文庫の15巻、メレンチェフの『宇宙紀元ゼロ年』を紹介します。
手元にない状態で本稿を書いています(少年時代にはかなり多数回読み返していますし、成人してからも何度か復習はしていますが、最後に読んでからは最低五年は経っている)ので、多少の至らない点はご勘弁ください。
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【ビブリオグラフィ > 基本データ】
巻号:15
題名:宇宙紀元ゼロ年
原書:33 марта. 2005 год (1957)
著者:ビタリ・メレンチェフ
訳者:北野純
イラストレーター:岩淵慶三
対象年齢:小学校中学年~中学校序盤程度(※レビュアーによる見解)
【レビュアーによる評点 (S, A, B, C, D) 】
SF的着想の良さ:A-
小説としての良さ:B+
総合評価:A-
【梗概】
現代のソ連。主人公は科学好きの少年。ある日、ひそかに一人で冬山に山スキーに出かけた彼は、悪天候で遭難し、意識を失う。
主人公が目を覚ますと、不可解にも雪が解け、周囲は春めいた雰囲気に満ちていた。そして、驚くべきことに自分の傍らでは一頭のマンモスも目を覚ましつつあった。氷河期から氷漬けになっていたのか? わけが分からないまま、彼は半ば埋まったマンモスを掘り出してやる。マンモスに懐かれた彼は、マンモスに乗って人里を目指す。覚えのない道路に突き当たった彼は、見たこともない科学的な自動車と遭遇する。乗っていたのは大嫌いな同級生と同姓同名の老人と、その孫娘、孫息子だった。
(※以下、ネタばれ回避のため白文字)
少年は彼らの釣りに付き合う。そして彼らの科学的な釣り用具に再び驚愕する。この老人は市井の天才科学者なのか? しかしそういう風格は感じられない。彼らは一緒に街に戻る。そして少年は、自分が約五十年間も冷凍睡眠状態にあったことをようやく悟る。老人はかつての同級生の老成した姿だった。少年とマンモスが目覚めたのは、どうやら気候温順化装置が吐き出した熱風および未知の放射線の作用らしい。
少年は未来社会に珍客として受け容れられ、驚嘆すべき科学・工学の成果を見物する。原子力は安全かつ安価な動力源として実用化され、宇宙は征服され、自動車は自動制御で安全になり、科学と合理の精神により人類は幸福を謳歌していた。
また、マンモスを駆って孫娘とピクニックを楽しむ一幕も描かれる。
老いた両親との再会を控えた前夜、少年は高ぶる気持ちを抑えて眠りに就いた――そして目を覚ますとそこは現代だった。彼は冬山から救助されたのだ。全ては夢だったのか? そうかもしれない。だが、ただの夢ではない。それはあり得る世界、これから自分が作り上げていくべき世界なのだと少年は思った。
(※以上、ネタばれ回避のため白文字)
【感想・評価・解説】
本文庫には珍しい非英語圏海外SFの一つです(他にはベリャーエフの『生きている首』のみ)。
コンセプトとしては素朴で実直な科学啓蒙ジュブナイルです。その範囲内では出来は良いです。著者は工学系出身らしく、登場するテクノロジーには工学的センスがあり、リアル感も厚いです。素直で天真爛漫な世界観も悪くないです。文学性は浅いですが、ハード・サイエンス寄りのジュブナイルとしては必要充分かと思います。英語圏SFには無い独特の空気感も良いですね。ソ連SFにしては余計な政治臭が皆無なのも高評価です。
個人的には本文庫の中では十指に入る程度には好きな作品です。
「マンモスに意味があるのか」とか「オチがひどいんじゃないのか」とかの疑問は感じないでもないのですが、そこはまあご愛敬でしょう。
イラストは岩淵慶造。これがまた、とても良いです。あの独特のうねうねとした表現は子供心になかなか印象深かった記憶があります。わたしがSF画家という芸術家たちの存在を意識し始めたのは本書あたりが最初だったかもしれません(ただし、岩淵慶三の名前を明確に認知したのはこれから二・三年して白背の『青い世界の怪物』を読んだ時でした)。
追記:まあ害はないのですが、邦題は原題の逐語訳というわけではなく、作中に出てくる言葉というわけでもなく、いまだに意味不明です。
追記の追記:本書の刊行年である1957年はスプートニク1号が打ち上げられた年ですね。それと関係があるのだろうか?
【ビブリオグラフィ > 異版情報】
少年少女宇宙科学冒険全集(1960年)→SF少年文庫(1971年)→SFロマン文庫(1986年)。
本文庫では珍しい、少年少女宇宙科学冒険全集からの続投作品です。
平成版(SF名作コレクション)には収録されず。さすがに陳腐化しているという判断でしょうか? まあ、平成版の刊行年は作中の未来社会とちょうど同じ年でしたからねえ……