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プロジェクト・サイラス・スミスBLOG

ホームページ「プロジェクト・サイラス・スミス」http://projcyrussmith.moto-nari.com/ のブログ部分です。メインのコンテンツ(翻訳したSF)自体はホームページ側にあります。ブログ側にはSFのレビューなどを投稿しています。 ※SF翻訳活動は、実用度の高い機械翻訳の台頭により意義を失ったと考えるため、2021年以降はほぼ休止しています(2021/4/14投稿を参照)。 ※ブログ内のエントリ間のハイパーリンクはまれに切れている場合がありえます。お手数ですが検索機能をご活用ください。

日本における児童向けSF全集の終焉

先日のエントリ
 主要な児童SF全集同士の継承関係ならびに類似性について
を書いていて、改めて気づいたことがある。近年、日本国において児童向けのSF全集が(新規には)出版されていないことである。

下表が私の認知する限りの主要な全集(※)である。1950年代、60年代、70年代には各社が競うように児童向けSF全集を刊行していたことがよく分かる。しかし80年代になると国土社が(半分はミステリーだし、極端なアブリッジ版をコンセプトとした)「少年SF・ミステリー文庫」を出したのを最後に、現在に至るまでこれといった全集の新規刊行は途絶えている。

日本において(あるいは世界において)、サイエンス・フィクションは社会的役割を終えたということだろうか……?

確かに思い当たる節はある。

科学と工業が花開いた19世紀の欧米でサイエンティフィッック・ロマンスが出現したことは偶然ではあるまい。そして進取の気性に富んだアメリカでそれがサイエンティ・フィクションに、さらにはサイエンス・フィクションに発展したことも偶然ではあるまい。日本においても戦後からバブル期にかけて、人々が前を向いていた(科学技術に関してもある程度は前向きだった)風潮と、サイエンス・フィクションが何とか受け入れられた事実は無関係ではあるまい。

翻って、今日の情勢は全くそうではない。経済の混迷。社会の混迷。そして科学技術や進歩に対しても冷笑主義が見える。これではSFが流行るわけがない。多少はあるリプリントも、未来を夢みると言うよりむしろ過去への逃避に思えてしまう。

2ちゃんねる(今は5ちゃんねるか)で見られる、「SFファンの年齢層は毎年1歳ずつ上がる」とう言説もむべなるかな。

No. 叢書名 出版社 刊行年 リプリント元 巻数 備考
1 少年少女科学小説選集 石泉社/銀河書房 1955-1956   22  
2 少年少女世界科学冒険全集 講談社 1956-1958   35  
3 少年少女宇宙科学冒険全集 岩崎書店 1960-1963   24  
4 少年少女世界科学名作全集 講談社 1961-1962 No.2(若干相違) 20  
5 世界の科学名作 講談社 1961-1965 No.2(若干相違) 15  
6 SF世界の名作 岩崎書店 1966-1967   26 幼年向け
7 ジュニア版世界のSF 集英社 1969-1970   20  
8 SF名作シリーズ 偕成社 1971-1972   30  
9 SF少年文庫 岩崎書店 1971-1973   30  
10 少年少女世界SF文学全集 あかね書房 1971-1973   20  
11 SFこども図書館 岩崎書店 1976-1976 No.6 26 幼年向け
12 少年SF・ミステリー文庫 国土社 1982-1983   20 SFは半数
13 SFロマン文庫 岩崎書店 1985-1986 No.9 30  
14 海外SFミステリー傑作選 国土社 1995-1995 No.12 20 SFは半数
15 冒険ファンタジー名作選 岩崎書店 2003-2004 No.6 26 幼年向け
16 SF名作コレクション 岩崎書店 2005-2006 No.9(不完全) 20  



※何をもって全集(叢書、選集)とするかだが、本稿では次のものをそう見なした。
1.巻数があらかじめ定まっており、全体として計画的に編まれたもの。(外れる例:鶴書房SFベストセラーズ、角川文庫SFジュブナイル)
2.個人作品集や、一つか二つのシリーズものを全集と銘打っているだけのものは除いた。(外れる例:ベリャーエフ少年空想科学小説選集、ポプラ社SF冒険文庫)
3.巻数が極端に少ないものは除いた。
4.国産作品を主体としたものは除いた。
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