ある時Wikipedia日本語版の項目「未来史」を読んでいたら、若干腑に落ちない記述(*1)があった。「未来史を構築した最初の作家は一般にニール・R・ジョーンズと言われている」という記述である――そして前エントリ〔
ポール・アンダースンの未来史シリーズは2つあった〕を書くに際して同項目を見直したら今もそう記述されている。
これが一体どういうことなのかと言うと、この項目は英語版からの翻訳であり、そのまたソースはマイク・アシュリーだと書いてある。
マイク・アシュリーがそう言うなら一理はあるのだろうが、やはりこの言説には疑問を覚える。要点は次の2つ。
(A)SFと言えば未来を舞台にするのは当たり前のことなので、未来史と呼べるような作品は、探せばより古いものがいくらでもあるのではないのか? アシュリーがニール・R・ジョーンズに特に着目する理由は何か?
(B)そもそも、ニール・R・ジョーンズのどの作品(作品群?)を未来史扱いしているのか?
さて、マイク・アシュリーの原典を参照するのは困難であるため、この疑問は長い間わたしの中で解消されずにいた。しかし今日、アンダースンの未来史の件で『SF百科図鑑』(ブライアン・アッシュ編、サンリオ、1978年)の未来史の章を読んでいたら、解消につながるかもしれない記述を見つけた。
この章では①ジャンルSF以前の作品群、②オラフ・ステープルドン、③ニール・R・ジョーンズ(ジェイムスン教授シリーズの『教授懐かしの4千万年前に戻るの巻』)、④ハインラインという流れでテーマが記述されていたのである。
なるほど、そういうことか。つまり
(A)おそらく英語圏のSF業界では『教授懐かしの4千万年前に戻るの巻』を重視する風潮が以前からある。
(B)『教授懐かしの4千万年前に戻るの巻』。
ということなのだろう。
*1 Wikipediaが不可謬だという信仰を持っているわけではありません。念のため。
2022/12/25追記:久しぶりに『教授なつかしの四千万年前に戻るの巻』を読んでいたら新たな気付きがありました。詳細はそのエントリ「
ニール・R・ジョーンズ『放浪惑星骸骨の洞窟』感想」を参照。