SFロマン文庫第13巻、ゴードン・R・ディクスンの『宇宙の勝利者』を紹介します。
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【ビブリオグラフィ > 基本データ】
巻号:13
題名:宇宙の勝利者
原書:Space Winners (1965)
著者:ゴードン・R・ディクスン (Gordon R. Dickson)
訳者:中上守
イラストレーター:武部本一郎
対象年齢:小学校高学年~中学校前半程度(※レビュアーによる見解)
【レビュアーによる評点 (S, A, B, C, D) 】
SF的着想の良さ:S
小説としての良さ:A+
総合評価:S-
【梗概】
近未来、銀河連盟の宇宙船が地球に着陸した。彼らは圧倒的な科学力で地球人を一種の保護下に置き、特に、地球人の宇宙進出を禁止した。
それから十年後。銀河連盟は世界中の高校生にペーパーテストを行った。全世界から二十人を宇宙留学生として選抜するテストである。結果、アメリカからの合格者は三名――物理学専攻で主人公のジム、歴史専攻で「地球主義者」のカート、人類学・生物学専攻のエレン――だった。彼らはそれぞれの思惑を胸に連盟の宇宙船に乗り込んだ。
船はロボット船で乗員はゼロ、乗客はアタキット星人のピープ一人だった。アタキット星人はリスに似た小柄なヒューマノイドだった。アタキット星は連盟では比較的新参の惑星らしく、ピープは言わば先輩留学生なのだった。彼は高重力惑星人特有の屈強極まる肉体を持ちながら、徹底した平和主義者という変人だった。
自己紹介も終わらないうちに、発生率が限りなくゼロに近いはずの衝突事故が発生し、四人は救命ボートで脱出する。ボートは地球型惑星に着陸する。自動装置が告げる。「ここは四等隔離惑星クェバールである。ここでは遭難者の生命よりも、隔離政策が優先される。遭難者は政策に抵触せぬよう行動し、自力で救助ポイントに辿り着かねばならない」と。
クェバールは多島海の世界だった。そして三種の知的種族――地球人に似た外観で職人肌のモーレグ人、大柄なカンガルーのような外観で尚武的な遊牧民のワラット人、小柄なイグアノドンのような外観で科学者肌のノイフ人――が鼎立し、混住していた。文明度はおおむね中世から近世だが、突出した部分もあるようだった。
地球人三人は自動変装装置でモーレグ人に変装し(ピープはペットに変装)、催眠学習装置で現地語を覚え、人里へ出る。そして船やキリンもどきを乗り継いで救助ポイントを目指す。
(※以下、ネタバレ回避のため白文字)
しかしそう穏便には行かなかった。うっかり武勇を発揮してしまった彼らはワラット人の注目を集めてしまう。それだけならまだしも、科学を発達させつつあるノイフ人と、それを危険視するモーレグ人の秘密結社の暗闘に、四人はいつの間にか巻き込まれてしまう。
ジムは逡巡する――実務に長けているが機械仕掛けしか知らないモーレグ人に電気のことを教えてやれば彼らの一人勝ちになるのでは?――と。逡巡の末、ジムは決断を下す。それは不干渉だった。天下りの知識は結局その種族のためにならない。自分の手で掴み取ってこそ本当の知識として本当に生かされるのだ。
その時、ピープが救助装置を作動させ、彼らは上空の宇宙船に瞬間移動した。ピープが告げる。「これが本当の入学テストであり、君たちは合格したのだ」と。そして宇宙船は次なる惑星へ、次なる研修のため、飛行するのだった。
(※以上、ネタバレ回避のため白文字)
【評価】
傑作です。
50年代黄金期の――あるいはギャラクシー派の――精髄とでも言うべき知的でスマートな社会科学SFのお手本であり、なおかつ秀逸なジュブナイルSFでもあります。骨太でヒューマンな傑作『宇宙の漂流者』にほぼ並ぶ、本文庫の白眉と言えるでしょう。
【感想】
私事で申しわけありませんが、レビュアーにとって本書はバイブルです。
本書を読んだのは本文庫内ではかなり末期でした。なぜならば、当時「ファンタジー」を嫌悪していた私は武部本一郎の表紙絵(獣人、爬虫人、弓を持ったギリシア風衣装のお姉ちゃん)をチラ見して、本書をファンタジーと誤解したため、読むのを極力後回しにしたからです。しかしその狭量さと早とちりは怪我の巧妙でした。なぜならば、後回しにしたからこそ、SFロマン文庫全巻をほぼ読破した状態――すなわち小説の読み方やSFの何たるかをある程度は学んだ状態――で本書に出会うことができたからです。下手に未熟な状態で本書に出会っていれば、その真価が分からず、良くない第一印象を抱いたことでしょう。良くない印象は、本書を理解できる状態に成長して再読しても完全には拭えなかったでしょう。運命の神に感謝せざるを得ません。
それまでシンプルなハードサイエンス万歳調宇宙冒険SFを好んでいた(というよりそれ以外のSFの存在を想像すらしていなかった)レビュアーにとって、本書との出会いは衝撃でした。とにかく知的なのです。地球型惑星ではどのような生物が進化するだろうか? 一つの惑星に一種でなく三種の知的生物がいたら、その関係はどうなるだろうか? 大陸がなく多島海で占められた惑星で彼らはどう興亡するだろうか? 知的生物はどう生きるべきだろうか? ……エトセトラ、エトセトラ。それらの疑問について、タイプの違う四人の登場人物たちがディスカッションを重ね、そしてアクションにつなげていくのです。痺れました。SFから得られる感覚がWonderやStartlingやAstonishingだけではなく、知的興奮もあることを知ったのは本書が最初でした。
武部本一郎のイラストもとても良いです。武部氏のイラストの中でも特に力が入っているのを感じます。作品とも実に合っており、ただでさえ傑作である本作の価値をさらに高めています。
そして、ある意味で(今にして思うと)バローズタイプSFのオマージュでもある本作のイラストに武部本一郎を起用する采配は見事です。
【題名について】
小学生のころは、どこにどう勝利者が出てくるのか理解できませんでした。
中学生になって、邦題がSpace Winnersの逐語訳であることには気づきましたが、やはりどこにWinnersが出てくるのか理解できませんでした。
その後何年もして(成人後?)辞書を何となく読んでいて気づきました。Winnerには合格者という意味もあることを。なので本書の題名の(少なくとも表面上の)意味は、「宇宙(への留学生になるための試験)の合格者たち」だと思われます。
【関連作品】
明確な根拠はありませんが、『こちら異星人対策局』は『宇宙の勝利者』と同じ世界(数十年か数百年後)として読むとちょっと面白いかもしれません。
【ビブリオグラフィ > 異版情報】
SF少年文庫(1971年) → SFロマン文庫(1986年) → SF名作コレクション(2006年)。
平成版は題名変更なし。ただし例によってイラストは今一つ。